鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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― 228 ―用した蔵書印「英国薩道蔵書」〔図4〕が、『画乗要略』『(和漢故事)卜翁新画』『英雄図会』『(絵本)百物語』『画史会要』(「井上」もあり)『(倭漢名筆)画本手鑑』『(和漢名筆)金玉画府』『扁額軌範』の8件に。他に使用者を特定または推測できるものとして、『本朝画史』に「偕楽堂(三宅康保 1831−1895)」〔図5〕、『画巧潜覧』に「鱒(貸本屋カ)」〔図6〕、『(増補)年代記絵抄』に「牘庫(内藤露沾 1655−1733)」〔図7〕、『(有象)列仙全伝』に「蘭台倉(井上蘭台 1705−1761カ)」「高橋蔵書(高橋広道=笠亭仙果 1804−1868)」「山崎氏蔵書(山崎知雄 1798−1861)」「好文堂(貸本屋)」〔図8〕、『列僊図賛』に「江戸斎藤氏(斎藤月岑 1804−1878)」〔図9〕、『扁額軌範』(2種あり)に「日光中鉢石伊勢屋」「森清」(何レモ貸本屋カ)〔図10〕の6件(注8)。そして使用者不明のものとして、『絵本宝鑑』に「観楼蔵書」、『唐土訓蒙図彙』に「水哉軒蔵書印」、『狂画苑』に「君文閣」「染井文庫図書記」の3件、印文未解読のものが『画典通考』『謡曲画誌』『北斎漫画』『(増補頭書)訓蒙図彙大成』『和漢衆画苑』の5件である。サトウの蔵書印がある書籍については彼を提供者と見なしてよいだろう。だが他の蔵書印は各1件のみで、その使用者を同様に解釈するのは難しい。続いて、巻末見返し等にある書肆の符牒と印を見ていきたい。符牒はその書籍の仕入れ値・売り値を表す文字や記号、印は屋号や通称名の一部を示す小印で、ともに本文とは横向きに示されていることが多い。これらはその書籍が古書肆の手を経て再流通した事を示すものである(注9)。大英博物館では和本も洋書形式に再製本する為、見返しが失われている場合も多いが、今回の調査では19件の書籍にこうした符牒と印が残っているのを確認できた(いずれか一方の場合を含む)。再び『本朝画史』を例にとると、一巻巻末見返しに「玉山堂」角印と「内野」丸印、墨書された符牒〔図11〕が見られる。「玉山堂」とは日本橋通南二丁目にあった山城屋佐兵衛、「内野」とは芝明神前宇田川町にあった柏悦堂・内野屋弥平治と考えられ、いずれも幕末から明治期に営業を続けていた書肆である(注10)。先に見た本書の蔵書印「偕楽堂」の使用者・三宅康保は渡辺崋山と縁の深い三河田原藩12代藩主であり、そうした人物が提供者だとすれば魅力的な発見ではあるが、他に同じ蔵書印が見当らない事からも、売却された三宅旧蔵書の1冊が玉山堂から柏悦堂を経てアンダーソンに購入された、と捉えるのが妥当だろう。なお、アンダーソンが日本で勤務した海軍病院及び英国公使館は、柏悦堂と同じく芝にあった。他に印文の明確な書肆印として、『絵本故事談』及び『(和漢名筆)画英』に「須/仕入」、『絵本通宝志』に「須伊」〔図12〕、『謡曲画誌』及び『(倭漢名筆)画本手鑑』

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