鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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3.コレクターの求める多才な画家上述の《ヴィーナスとキューピッド》と《果物を売る女》、この異なるジャンルの二作品に登場する女性像を注意深く比較してみると、もうひとつ重要な点に気づく。両者はほぼ同一の大きさで描かれているのである。となると、ファン・ミーリスが同じタイプの女性を描いたのは、古典主義に基づく美の達成のためだけでなく、絵画制作の実践上の効率を上げるためでもあったのではないだろうか。近年の研究におい― 14 ―さらに、1708年にファン・ミーリスが《バテシバ》を描いた際、これらファン・ボスアウトの彫刻を念頭においていた可能性は極めて高い。というのも、前年の1707年、ファン・ミーリスのパトロンの一人のコレクションが没後の競売に付され、コレクションの一部であった多数のファン・ボスアウト作品が、コレクターと芸術家の高い関心を集めていたからである(注16)。さて、物語画において古典主義の彫刻から着想を得て女性像を描いたファン・ミーリスは、風俗画ではどのように女性像を表したのだろうか。彼の描く日常的な情景に裸婦は登場しないが、たとえば《リュートを奏でる女》(1711〔図1〕)に表される女性は、その横顔とポーズにおいてバテシバと驚くべきほどの類似を示す(注17)。彼女はバテシバと同様、髪を結い上げた頭部を真横に見せながら、胴体を正面に向け、下半身を右手の方向へひねって腰掛けている。スカートの襞から推測される限り、脚の位置も似通っている。同じタイプの女性像は《おろそかにされたリュートの稽古》〔図9〕にも描かれ、さらに、《露店にて》〔図10〕にいたっては、まるでバテシバが老女とともに市民の衣服をまとって登場したかのようでさえある(注18)。これら女性たちは、ほとんど同一の横顔と髪型、透き通るような柔肌、腕と手と指先のしなやかで優雅な動きを見せている。以上の例から明らかになるのは、画家が、物語画のために考案した理想の女性像を風俗画に繰り返し採用しているということにほかならない。デ・ラレッセの言葉を借りれば、ファン・ミーリスは古典主義の規範にかなう理想の形とプロポーションを市民階級の女性に与え、それによって風俗画の価値を高めているといえるだろう。ファン・ミーリス作《ヴィーナスとキューピッド》〔図11〕と《果物を売る女》〔図12〕はその最たる例である(注19)。ヴィーナスと果物を売る女は、物語画と風俗画というジャンルの境界を超えて、ほぼ同一の容貌とポーズを示している。一般市民の女性を「ギリシャのヴィーナスのごとく美しく優雅」に描くべきであるというデ・ラレッセの助言がまさに文字通り遂行されているのである。

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