1.課題の所在申請者の調査研究は、紀州藩十代藩主・徳川治2.淵上旭江の略歴と研究史淵上旭江は、宝暦3年(1753)、備前国児島郡の農家に生まれた。名は禎、字は白亀、― 237 ―㉒ 近世紀州における実景図の研究―十代藩主・徳川治宝をめぐる絵画制作状況―研 究 者:東京国立博物館 任期付研究員(学芸研究部調査研究課絵画・彫刻室) 大 橋 美 織徳川治宝は、表千家や三井家などとの交流や雅楽器を蒐集したことから、文化好みの藩主として知られる。従来治宝に関しては、御庭焼制作や雅楽器コレクションに焦点が当てられ研究が進んできた(注1)。また、治宝は自身が筆をふるったことも含め、絵画制作、特に実景図に関心を持っていたことも明らかになっている(注2)。しかし、治宝を巡る絵画作品の中には未だ筆者不明の作品も存在し、検討する余地が十分に残されている。治宝は松平定信(1758〜1829)の妹を娶り幕府中枢との姻戚関係を有する一方、大坂の木村蒹葭堂(1736〜1802)とも交流していた。彼らのような同時代の文化を代表する人物との交流を持つ治宝を巡る実景図の様相を明確にすることは、江戸時代絵画史を考える上でも重要である。治宝の絵画制作に関わる画家としては、藩のお抱え絵師や桑山玉洲(1746〜99)・野呂介石(1747〜1828)に代表される紀州出身者はもちろん、松平定信との関係からと思われる谷文晁(1763〜1840)の名があげられる。そして治宝を巡る絵画制作を理江(1753〜解する上で、新たに申請者が注目した画家が、備前出身の画家、淵1816)である。治宝の依頼によって制作された「友島全景図巻」(大英博物館蔵)は、筆者不明のまま現在に至るが、申請者はこの画巻を淵上旭江筆とみなし得ると考え、本助成により作品調査を行った。加えて未だ肉筆作品に関する考察が不十分である旭江の肉筆画帖3点の調査を実施した。本報告では「友島全景図巻」及び現時点で確認しえた肉筆画帖3点について、調査により判明した事項を報告し、若干の考察を加えたい。■■■■■■■■宝(1771〜1852)の治世において制作された実景図を、作品調査・実地踏査・文献資料精査に基づき把握することにより、近世における実景表現の制作態度と享受側の実態を明確にすることを目的とする。上旭■■■■■
元のページ ../index.html#247