3.淵上旭江肉筆作品①「五畿七道図」(岡山県立美術館蔵)― 238 ―号は曲江のち旭江、鳴亭・画隠窟といった。幼い頃から画を好んだといわれる旭江が本格的に画を学んだのは、明和年間(1764〜72)に備前に来遊した大西酔月(生年不詳〜1772)に師事して以降と考えられている(注3)。20歳頃から故郷を離れて諸国を遊歴し、寛政6年(1794)に大坂に定住。木村蒹葭堂や皆川淇園(1734〜1807)をはじめとする当時一流の文人たちと交流を深めていく(注4)。そして、後に各地遊歴の際に描きためた画稿を整理し、寛政11年(1799)に『山水奇観』(初版本)、寛政12年(1800)に『山水奇観前編』を、続いて享和2年(1802)には『山水奇観後編』を出版した(注5)。この版本は、後に一部が歌川広重(1797〜1858)の『六十余州名所図会』の種本として利用されるほど普及し、旭江の名を知らしめる好著となった(注6)。以上のように旭江については、略歴や刊行された版本に関しての考察は近年盛んになってきたが、旭江自身の肉筆作品に関する具体的な考察はほぼなされていないのが現状である。広重の種本に用いられるなど、後の風景表現に一つの「型」を提供した旭江の肉筆作品への考察を深めることは、近世の実景図を考える上でも重要であろう。以上のような問題意識から、申請者は現存する旭江の肉筆作品の調査を進め、彼の作品の特質を探ることを試みてきた。現在までに、旭江の実景画帖3点、及び実景図以外の肉筆作品23点の作品調査を行った。同時に『山水奇観』の初版本(岡山県立博物館蔵)の調査も行い、肉筆画帖及び後■本との比較のための基礎固めに努めた。本稿では、旭江肉筆画帖、及び旭江筆とみなし得る「友島全景図巻」(大英博物館蔵)について報告を行う(画帖及び画巻の詳細は文末の資料を参照)。まず3点の画帖の中でも旭江の代表作と言い得る、最大の量と質を誇る岡山県立美術館所蔵「五畿七道図」〔図1〕から報告を始めたい(注7)。本画帖は、皆川淇園による序文から、和田隆侯を注文主として、寛政8年(1796)に旭江により描かれたことが判明する。和田隆侯(1749〜1803)とは、辰巳屋という廻船問屋を営むかたわら、書画も愛した上方きっての風流人である。淇園の詩を集めた『淇園文集』にもたびたび登場し、この作品の他にも「誕生石図」(個人蔵・岡山県立博物館蔵)をはじめ、旭江に作品を依頼していることが判明する。また上田耕夫(1758〜1831)に谷文晁筆「公余探勝図」(東京国立博物館蔵)の模本の写本制作を依
元のページ ../index.html#248