4.総括と展望本報告では、未だ肉筆作品の紹介・調査が十分になされてこなかった淵上旭江の肉筆画帖を紹介した。その結果、旭江の現存する肉筆画帖には濃彩・緊密描写の⑴「五― 241 ―れるものの(注13)、筆者問題にまで踏み込んだ考察はなされてこなかった。本図巻はウィリアム・アンダーソン(1842〜1900)のコレクションとして、1881年に大英博物館の所蔵となったことが題箋の印よりわかるが、いかなる経緯でアンダーソンが本図巻を入手したかは不明である。現在まで「友島全景図巻」として紹介されている本図巻であるが、筆者の調査により、題箋に「海島奇観」と書かれていることが判明し、当時はその名称で鑑賞されていたと考えられる。「友ヶ島」とは、和歌山と淡路島の間、加太の西方に浮かぶ四島の総称であり、「地ノ島」とその西方の「沖ノ島」、沖ノ島に付属する「虎島」、「神島」からなる。『万葉集』などでは妹島と詠まれ、歌枕としても親しまれてきた。友ヶ島には、現在も本山派(聖護院)修験の行所が五箇所あり、本図巻に描かれた友ヶ島の五箇所は、まさにその行所を描いたものである。その後に続く「藤白山」「名草山」も、ともに古来より歌に詠まれてきた紀州の名所であることを考えるならば、単純に「奇勝」、すなわち景色が珍しい、あるいは風光明媚であるなどの理由だけではなく、藩主たる治宝が、自身の治める紀州の歴史的、あるいは宗教的な要所を意図的に描かせたと想定してよいだろう。本図巻は謹直で細密な筆致と、画面を占める高価な顔料による色彩が目に眩しい豪華な作品に仕上がっている。この謹直で細密な筆致は⑴【「五畿七道図」―「真景図帖」表面】系統と、同様の個性を備えていること、また繰り返し使用されるモティーフにも旭江の特徴が見られることが調査により確認できた(注13)。旭江の画業における本図巻の位置づけを考えるならば、制作年代が明確であるのみならず、その優れた作風により旭江の基準作となる非常に貴重な例と言える。御三家の紀州藩主のために描かれ、かつ抑制された筆線による丁寧な描法や、良質の顔料などからも、現在まで旭江の代表作とされてきた「五畿七道図」に引けを取らない力作であることは明白である。本図巻の筆者が旭江であることを報告することは、旭江の肉筆作品の基準作を提示すると同時に、著名な『山水奇観』の初版本が刊行されたことの意義をも高めることに繋がる。なぜならば、初版本の刊行は、図巻制作の翌年であり、何より刊行は紀州でなされたからである。本図巻の存在により、旭江と紀州との深い繋がりがさらに明らかとなるのである。
元のページ ../index.html#251