― 249 ―依預榮爵不備童装束カ」とある。『江家次第』巻第二十「諸家子弟元服」によると、次のように元服の装束について記述がある。殿上童は「青色闕腋袍」の束帯で元服に臨むが、「地下者直衣布袴、〈或直衣束帯、浅黄直衣〉」とあり、地下の者は直衣布袴や直衣束帯を着ることがわかる。そして、元服後は「多用五位蔵人袍、給爵時儀也、不給爵人者可着直衣」とあり、叙爵される者は五位蔵人袍を用い、叙爵されない者は直衣を着ることを示している。このように、冠者の立場によって元服での装束が違ってくる。ここでは、童の直衣を用いた元服事例を整理し、どのような装束改めがあるか、なぜその装束が選ばれるのかを考えたい。Ⅰ 童:直衣束帯 から 大人:位袍束帯 へ※該当事例の冠者名、資料名、元服日を順に記す。①源師房 『小右記』『左経記』寛仁4年(1020)12月26日条②源資綱 『左経記』長元4年(1031)8月13日条③若狭守子 『帥記』承暦4年(1080)7月5日条④藤原宗能・宗成 『中右記』承徳2年(1098)11月13日条⑤藤原公親 『中右記』保延3年(1137)正月20日条上記5例にはいずれも「直衣束帯」とあるか、直衣束帯を示すと思われる記述が認められる。直衣束帯とはどのような装いか、まずみていくと、①に「着直衣・下重等」(『小右記』)とあり、③にも「直衣下襲束帯」とあるため、直衣に下襲を伴った姿と解される。④には宗能の装いが「束帯、但直衣、新中納言丸共帯用之」とあり、束帯に不可欠な石帯の使用が確認される。時代が下るが、後鳥羽院の『世俗浅深秘抄』下には、 一童五位加首服時着直衣束帯。一如尋常束帯撤袍如袍着直衣也。雖童五位着尋常直衣又例也。とあり、直衣束帯とは束帯の位袍だけを直衣の袍に換えた装いだと述べられている。また、①から⑤には共通して元服以前に主に五位に叙されるという待遇がみられ、「童五位」が元服時に直衣束帯を着るという記述に一致する。冒頭に挙げた兼隆も、栄爵のため着た「直衣」とは直衣束帯であったかもしれない。ただし、⑤では殿上童であるにも拘らず童束帯ではなく直衣束帯を用いており、前掲の『江家次第』の記述と矛盾する。また、④⑤には天皇より冠と直衣を賜る記録がみられる。元服時の冠下賜について
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