鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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― 16 ―画市場で競争を強いられた17世紀の画家の事業家的性質とは対照をなす。17世紀当時、画家は膨大な数の同僚を凌いで成功するために、ひとつの絵画ジャンル、さらには特定の題材を選び、その専門家として身を立てなくてはならなかった。一方、18世紀初頭に成功した少数の画家たちは、17世紀の先駆者たちが確立した絵画ジャンルを好むコレクターのために、多様なジャンルの作品を一人で提供する必要に迫られていたのである。おわりに「優雅と洗練」という言葉で語られてきた18世紀初期の風俗画―そこに描かれる女性像には、実際に、当時のオランダ古典主義の規範にかなった美と形が与えられていた。そこでは、画家たちが物語画のために創案した理想の女性が、日常的な情景のなかに姿を変えて登場する。優美な女神と聖書の乙女たちは、市民階級の淑女に、さらには召使や女店主にまで姿を変えたのである。こうしたメタモルフォーゼは、レンブラント作品に見られる17世紀オランダ物語画の傾向と比べるならば、18世紀初頭特有の現象といえる。古典主義者アンドリース・ペルスがいみじくも批判したように、レンブラントはモデルに「ギリシャのヴィーナスではなく、洗濯女や泥炭運びの女を選び」、その「垂れ下がった胸、不恰好な手、コルセットで締められた痕のある弛んだ腹、ガーターの紐が食い込んだ線の残る脚」を描いた(注25)。だがデ・ラレッセの助言はまさにその逆であった。18世紀初頭、古典主義が芸術の主要な潮流となるにつれ、日常の情景に描きだされる女性までもが、ギリシャのヴィーナスのごとく滑らかな肌と理想的身体プロポーション、そして優美なポーズを示すようになるのである。先述したように、物語画から風俗画への女性像の転用は、コレクターの多様な要求に応えて制作の効率を上げるための手段でもあった。とはいえこの状況は、画家の風俗画制作に不利に働いたのではなかった。画家は、17世紀に確立されて人気を博した複数の絵画ジャンルの作品制作に携わることで、最新の芸術の動向とコレクターの趣味に通じることができたのであり、それによって先駆者の絵画伝統の何を継承し、どのように刷新していくべきなのかという問いをたえず意識的に持ち続けることができたのである。その意味では、18世紀初頭の風俗画における「洗練化・優雅化」の傾向は、より高尚なジャンルと見なされた物語画制作の副産物とはかならずしもいえない。それは古典主義という同時代芸術の様式上の要求と、黄金時代の芸術として規範化されつつあった17世紀オランダ美術を統合しようとした画家たちの努力の賜物であ

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