4 「二尊院縁起絵巻」の画面続いて、画面における特筆事項は次の四点が挙げられる。第一点としては、法然伝の数場面が絵画化され、概ね法然絵伝の図様に則りつつ、変更がなされていること(注14)。第二点として、上巻第1段の臨幸や下巻第5段の武家の参詣風景といった行列場面への関心が見て取れること。第三点として、下巻第7段に落慶供養を見守る公条の描写、第四点として、下巻第八段に見られる参詣者や大工、米俵を運搬する男性などの人物描写である。― 262 ―成をとる。上巻第6段では、毎夜扁額をなめる龍をなだめるために、血脈を記した一巻を正覚上人が池に沈めたところ、龍女は成仏し、池に蓮花が生じたという内容であり、下巻第6段では、廣明和尚が二尊院に草庵を結んだところ、その誦習の功により瑞相がおき、庭に小さな白蛇が多数現れ南を向いていたという。ともに、二尊院門前の池や再建された本堂の場所の起こりを説いたもので、本絵巻に寺宝や境内由緒を語ろうとする姿勢が看守される(注11)。第四点の三条西家や三条家に関する記述は、制作背景との関係で注目される。本絵巻の詞書起草者については不明であるが、『二尊院文書』に収められる「某(三条西公条カ)願文」と詞書との間には語句の一致する箇所が多く、本絵巻の詞書を考える上で貴重である。応仁の乱後、二尊院は文明8年(1476)に上棟し、永正15年(1518)と享禄2年(1529)には幕府から堂舎造営のための勧進を許されている(注12)。また、大永2年(1521)に公条が草案・清書した「嵯峨二尊院募縁序」(『本朝文集』78所収)も存在する(注13)。こういった願文や勧進帳の存在は、本絵巻と公条の関係を示唆するものと考えられる。第二の行列に関する点では、下巻第5段の行列が7紙にわたる長大なものであると同時に、その服制が注目される。それは、列の後部に配される、馬に乗る僧形姿の人物である〔図9〕。この人物は、素襖、白袴、馬上沓を身に付けている(注15)。下坂守氏によれば、同朋衆は、素襖に白袴姿で将軍に供奉していたことが文献から知られるという(注16)。おそらくこれは同朋衆の騎乗した姿と考えられよう。また、行列中の徒歩の従者ほぼ全員が、「返し股立ち」であることも注目される。厳密に言えば、将軍出向時に供奉する御走衆と御供衆は、その役割の違いから、前者は返し股立ち姿が推奨され、後者は特定の条件下でのみ、この姿を取ることができた。本絵巻における故実描写の正確性については今後検証する必要もあるため、現時点では、本絵巻に騎馬姿の同朋衆と、「返し股立ち」を取る従者が描かれているということを指摘して
元のページ ../index.html#272