鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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注⑴狩野元信に関する主な研究は以下の通り。辻惟雄「狩野元信(一〜五)」『美術研究』246・249・270−272号、1964〜1970年→のち『戦国時代狩野派の研究』吉川弘文館、1994年に再録。山岡泰造『狩野正信/元信(日本美術絵画全集7)』集英社、1977年。京都国立博物館編『室町時代の狩野派―画壇制覇への道―』中央公論美術出版、1998年。山本英男『初期狩野派(日本の美術485号)』至文堂、2006年など。― 264 ―は、三条西家に加え、廣明和尚の後継である良純の関与も視野に入れ、今後の検討課題としたい。⑵初代正信の代からやまと絵との関わりは見出されるが、絵巻と金碧画の作品は確認されていない。辻1970年、山本2006年、髙岸輝『室町王権と絵画―初期土佐派研究』京都大学学術出版会、2004年。⑶狩野派絵巻の規範的作例については、並木誠士「狩野派の絵巻物制作―釈迦堂縁起絵巻の規範性と絵巻物における『元信様式』―」(戸田禎佑ほか編『日本美術全集 12』講談社、1992年)に詳しい。⑷「酒飯論絵巻」は、大永年間(1520年代)頃の元信の手になる可能性が指摘されている。並木誠士「酒飯論絵巻と狩野元信」『美術史』137号、1995年。⑸紙本著色、上巻は縦34cm、横1421.5cm。下巻は縦34cm、横1635.2cm。⑹「二尊院縁起絵巻」について触れる論文や解説類は以下の通り。辻1970・1994年、サントリー美術館編『室町絵巻―残照の美』1988年の解説、宮次男編『角川絵巻物総覧』(角川書店、1995年)の相澤正彦氏による解説、京都国立博物館編1998年、相澤正彦「大永七年銘『九相詩絵巻』について―初期狩野派様式の絵巻」(『ミューゼアム』516号、1992年)、相澤正彦「初期狩野派の北野天神縁起絵巻(下)」『神奈川県立博物館研究報告 人文科学』27、2001年、山本2006年。⑺松原茂「狩野晴川院と絵巻」『ミューゼアム』344、1979年、渡辺信和「名古屋造形大学・名古屋造形芸術短期大学附属図書館蔵『二尊院縁起』をめぐる若干の新知見」『同朋大学佛教文化研究所報』9号、1995年参照。⑻比較対照とした貞敦親王の短冊類は山岸徳平編『短冊手鑑』1978年の第430・431図、堀江知彦『室町時代の書(日本の美術182号)』至文堂、1981年の第3・31図、湯山賢一『天皇・公家の書(日本の美術500号)』至文堂、2007年の第3図、妙心寺塔頭桂春院蔵の短冊(東京大学史料編纂所の台紙付写真)である。⑼公条の筆跡については、前掲注⑻の山岸1978年の第78・79図、堀江1981年の第37・39図、湯山2007年の第3図のほか、二尊院蔵の公条筆蹟(東京大学史料編纂所の台紙付写真)を参照した。⑽『御湯殿上日記』天文元年九月十九日条、『後奈良院宸記』天文四年三月二十六日条。⑾これらの段に現れる龍、蓮華、蛇などのモチーフは、法然上人絵伝との関係をも想起させる。例えば、「上西門院に説戒の際、くちなわ聴聞、結願の日死してその頭より蝶(あるいは天女)空にのぼる(龍女成仏)」あるいは「法然の華厳経披講の場にくちなわが現れる」といった法然伝の霊験譚に倣ったものといえるかもしれない。米倉迪夫「法然上人伝絵と霊験図―法華経霊験図を中心として」『美術研究』339号、1987年。⑿ともに『二尊院文書』所収。

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