― 265 ―⒀伊藤慎吾「中世勧進帳年表」『芸能史研究』18号、2000年。⒁本絵巻における法然上人絵伝図像の理解やその援用については、稿を改めて論じる予定である。⒂袴の前面に赤い裾のようなものがみえることから、「返し股立ち」姿と判断される。⒃下坂守「若宮八幡宮蔵『足利将軍若宮八幡宮参詣絵巻』の図像と画面構成」(村井康彦・下坂守『日文研叢書7 足利将軍若宮八幡宮参詣絵巻』国際日本文化研究センター、1995年)→のち下坂守『描かれた日本の中世―絵図分析論』法蔵館、2003年に再録。⒄出光美術館蔵「月次風俗図扇面」については、黒田泰三「新出の京洛名所風俗図扇面について」『デアルテ』9、1993年ならびに同「狩野派の風俗画制作における『和』と『漢』」『出光美術館報』81、1993年を参照。上杉本「洛中洛外図」に描かれる「米屋に馬」については、瀬田勝哉「馬二題―上杉本『洛中洛外図』の一齣」(初出『月刊百科』294、1987年→のち瀬田勝哉『増補 洛中洛外の群像』平凡社、2009年に再録)を参照。⒅山本2006年。⒆『群書類従 27 雑部』所収『嵯峨記』の記述については、永井規男「二尊院古図について」『日本建築学会大会学術講演梗概集 昭和58年度 計画系』1983年で既に指摘されている。この永井論文で紹介される、二尊院の境内を描いた古図A、古図Bには、「米蔵」の存在が示されている。下巻第8段の米俵を運ぶ男性たちの描写を考える上で、重要な意味を持つものと思われる。
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