― 280 ―㉖ シュトゥットガルト時代のオスカー・シュレンマーとバウハウス研 究 者:京都市立芸術大学 非常勤講師 青 木 加 苗はじめに:本研究の目的と背景本研究の目的は、オスカー・シュレンマー(Oskar Schlemmer: 1888−1943)の初期絵画作品、すなわち主にシュトゥットガルト時代の作品における、抽象化の過程を明らかにすることである。シュレンマーの名が第一に想起させるのは、彼の絵画作品ではないだろう。それよりも1919年から1933年までの間、その地を移しつつも造形芸術教育機関として多様な姿を見せたバウハウスにおいて、舞台工房を率いたという事実である。彼の代表的舞台作品《トリアディック・バレエ》は、その幾何学的な衣装形態と人形のような運動感が特徴であるが、それがこの時代のイメージである機械的身体と重なりあうこともあって、度々注目されてきた。また同時代の芸術運動の多くが、舞台やパフォーマンスの領域に踏み込んだこともあり、シュレンマーの活動もバウハウスの中での新しい表現活動として位置づけられている(注1)。確かにこの作品に代表されるように、シュレンマーの舞台には、運動原理を造形原理に基づいて捉えるという一貫した視点があり、それは明らかに新しいものであった。しかしこの舞台に持ち込まれた造形観が、何を出発点とするのかについては問われることがほとんどない。筆者がシュレンマーの絵画作品を取り上げるのは、この舞台の問題を根底から見直すためにも、それと同時進行していた絵画制作に目を向けなければならないと考えるからである。その《トリアディック・バレエ》の制作は、1912年に始まる構想から初演まで、ほぼ10年を数える。つまり舞台と同時進行していた絵画について辿るだけでも、最低10年間に目を向けなければならない。10年といえば、一人の芸術家が問題意識やテーマを変化させるのに十分な期間だろうし、例にもれずシュレンマーの絵画も大きな変化を見せた。ならばまずはその間の変化要因を見つけ出しながら、関わりのあった画家たちとの比較検証作業を行い、絵画におけるシュレンマーの造形的特性を明確にする必要があるだろう。実際、シュレンマーの絵画が大きく変化し始めるのは、ちょうどこの1912年前後からである。それは広い意味では、当時ほとんどの芸術家たちが何らかの形で洗礼を受けることとなった、所謂キュビスムの一受容と呼べるものだが、他地域における絵画の抽象化傾向と比較しても、シュレンマーのそれには、単なる形態の分解によるものではない、意識的な平面化への移行が見受けられるのである。そしてその傾向は、シ
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