― 282 ―1907年になるとシュレンマーは絵画クラスへ移り、外光派のクリスティアン・ランデンベルガー(Christian Adam Landenberger: 1862−1927)の下で油彩制作を行った。ランデンベルガーの作品は、戸外の風景の中に人物を描き込むスタイルであり、外光派ならではの明るさや、肌色の表現が特徴である〔図2〕。また比較的大まかな筆致で描き、画面全体を覆う均一な光の効果によってコントラストが軽減され、背景となる風景と対照物である人間とがほぼ均等に扱われていることも目立っている。ランデンベルガーの授業では、時に戸外写生を行うこともあったようだが、大半が室内でのモデル描写であった。シュレンマーが、後に最も親しい友人となるオットー・マイヤー=アムデン(Otto Meyer-Amden: 1885−1933)と知りあうのは、このランデンベルガーのクラスにおいてである。彼らは同じ課題と思われる作品を残しているが〔図3、4〕、先に基礎的な絵画訓練を積んでいたマイヤー=アムデンがランデンベルガーの特徴をほとんど受け継いでいないのに対し、シュレンマーは筆致や平面的な傾向という点で、より師の影響を受けている。また筆致の問題を更に越え、大きな色面分割にまで踏み込み始めているのが〔図5〕であろう。ここでは表面の差異は、ほとんど消し去られており、それによって色面的効果が現れている。シュレンマーがシュトゥットガルト美術アカデミーに入学したのは1906年であり、当初はデッサンのクラスへと入ったが、これはアカデミーのカリキュラムによるものである。この時期のデッサンは、身体の骨格を忠実に捉えた描写的なものであった〔図1〕。印象的なまでに明度の調子を強調している傾向があるが、描かれたものに意味付けを行ってしまう顔(=表情)を出来る限り排除して、全体の明暗を描くことに徹しようとしているように思われる。実際、シュレンマーは顔へのこだわりがすでにあり、人形を並べて描いたり、顔の表情を正面から捉えたりする作品も残している。そのためデッサンにおいては、ボリュームとしての形態把握という目的には時に適さない顔と言うものを、排除していたように感じられる。一方、シュレンマーが風景描写に本格的に取り組むのは、1909年からのフリードリヒ・フォン・ケラー(Friedrich von Keller: 1840−1914)のクラスにおいてであった。しかしケラーの作品が明暗法を主体としているのに対し、シュレンマーの風景画は全体のコントラストがほぼ均一であり、筆致もランデンベルガーのそれに近いものがある〔図6〕。ただし、画面の明度が低いところに、ランデンベルガーの風景描写とは異なる点があるだろう。同クラスにおいてシュレンマーとともに学んだヴィリ・バウマイスター(Willi Baumeister: 1889−1955)の作品〔図7〕を見てみると、より戸外写生らしい明るさがある。ランデンベルガーの明るさと、ケラーのコントラストの強さ
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