2.構成段階における特性1911年になるとシュレンマーは、一旦シュトゥットガルトでの活動を中断し、ベルリンへと向かう。この時期の風景画において、シュレンマーはようやく風景の中に人物を配置するようになる〔図8〕。しかしそれは、人物描写と呼ぶには物足りない扱いでしかない。むしろ風景の中にある樹木や建築物が有する構造線に、関心は向かっている。特に大きく画面を分割する(曲)線を最初に描き、その分断によって生まれた個別の空間を、どのように処理するのかという問題に取り組んでいることがわかるだろう。つまりそれまでの描写という意識ではなく、構成という目的意識が、画面に現れてくることが特徴である。― 283 ―を総合した様にも見える(注2)。しかし最も注目すべき点は、バウマイスターの風景が人物を描き込んだ情景描写となっているのに対して、シュレンマーの場合は風景描写と人物描写を一つにまとめることがほとんどないという点である。シュレンマーが人物を描く場合は、先のモデル描写を発展させるように、室内に配置するのである。ここにシュレンマーの空間把握の特徴があるだろう。つまり、対象物のスケール感と空間感覚の関係性、そしてモチーフとしての人間の扱いである。風景という大きな空間に人物を描写すると、その中にはストーリーが生まれる。それは、画中の人物が何の動作をしているのか、どこにいるのか、といった想像を見る者に呼び起こす作用でもある。この後、人間を絶対的なモチーフとして位置づけて行くシュレンマーが、この風景描写において、出来る限り人間の描き込みを避けていることは、ともすると逆説的にも思われる。しかし、形態としての人間の身体を扱おうとした場合、風景の中に描き込むのでは、その実体感は限りなく失われるだろう。それよりも、ある閉じられた室内空間に位置づけるか、もしくは至近距離から対象を捉える方が、その大きさと空間の把握は容易になるのである。その後の風景を抽象化させる展開においてさらに明らかになることだが、この段階での人間身体の扱いは、そのかたちに対して、次第に別格の扱いを行うようになることの裏付けともなろう。この当時の描写においては、画面の均質化と、描写の簡略化・捨象という傾向が顕著なのである。画面構成という制作方法は、ヘルツェルがアカデミーにおいて指導していた構成クラスと関連がある。ヘルツェルは、過去の作品を取り上げ、画中の構造線を分析するという授業を行っていた。当時シュレンマーは未だ正式にはケラーの門下生であったけれども、非公式にヘルツェルのところにも出入りしていた。だからこそ、このベル
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