鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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3.ヘルツェルの構成における特徴シュレンマーらがアカデミーで学び始めた頃には、ヘルツェルは既に色面分割的な画面構成で描いていた〔図11〕。《赤のコンポジションⅠ》と題された本作品は、右半分の小豆色部分が画面奥へと引き下がり、左手前の人物群と、彼女らが向かうその方向を指し示すような右に尖った三角形が背景の中から突出している。画面上のモチーフは、すでに本来の色彩からは遠ざかっており、画面全体の明度コントラスト効果とその中でのトーンの差が生むリズム感を目指していることが明らかだろう。― 284 ―リンでの経験を経て、1912年にシュトゥットガルトへ戻る際、ヘルツェルの門をたたくのであろう。この構成クラスに限らず、ヘルツェルによる指導の特徴は、画面を縦横、対角に横切る構造線によって分割しながら画面構造を組み立てて行くことと、明度の対比を強く押し出すことにある。シュレンマーもそれを試みているが〔図9〕、最終的には、水平・垂直の安定的構図へと帰着する〔図10〕。これはヘルツェルの画面構造とは明確な相違点であると同時に、シュレンマーの最も目立った造形的特性にも繋がって行く傾向である。よって、このヘルツェルの画面構成とシュレンマーのそれを、他の学生の受容とあわせて検討しなければならない。ここでの試みは、具象的な情景を、絵画を構成するための直接的な造形要素に変換する作業である。その際、各々のモチーフから派生する輪郭線を、意図的に繋ぎ合わせるように調整を施している。この作品のように、画面の一部、特に人物群を一つの塊として背景から浮かび上がらせる手法はその後も継続されるが〔図12〕、それまでは形態同士を繋ぎ合わせる役割を持っていた輪郭線が、画面全体を走る分割線へと変化して行くことが主な特徴として挙げられる〔図13〕。このヘルツェルの指導を受けることを願って、バーゼルからシュトゥットガルトまで徒歩で移動してくるほど、ヘルツェルに傾倒していたのがイッテンである。それはシュレンマーやバウマイスターよりも更に遅れる1914年のことであった(注3)。その直前までジュネーブの美術学校で、円や三角形といった基本的な形態を用いたコントラストの構成練習を行っていたイッテンは、シュトゥットガルトでの活動当初、腕の大きなストロークを用いて、弧が重なり合うような形態に、対象をはめ込みながら描いていた〔図14〕。その曲線は、次第に画面を大きく貫く直線へと変化して行く。しかしその過程において、形態の輪郭線は面と面の境界線へと変化し、ヘルツェルのように黒い線として残されることはなかった〔図15〕。後の二人の展開を考えれば、

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