― 285 ―ヘルツェルにとって重要であったのは、この黒い線の方であり、イッテンにとっては面、もしくはそこにのせられた色彩の方が、より重視されるようになって行くという違いがある。さて、こういった画面を構造線によって分割するという方法は、シュレンマーにとってどのような意味を持ち得たのかを考えてみたい。シュレンマーの画面は、イッテンのように細かなファセット状に分割されて行くことはない。むしろ出来る限り大きな画面分割へと向かって行く〔図16〕。この画面ではイッテンと同じく、線を用いることなく境界線を描きだすことを試みている。しかしシュレンマーは、モチーフを一つの身体という最小限度に絞り、図と地の相対関係によって画面構成を試みようとしてもいる。そしてシュレンマーの構造線が、それぞれ1本ずつの水平・垂直線のみに限定されているのは、そのモチーフを一つに絞ったためであろう。イッテンやヘルツェルに見られるような対角線や斜めに交差する線は、いくつかのモチーフが集まることによって生まれる「動き」が持ち込まれなければ、画面上に表し得ないからである。シュレンマーはこのように、造形要素を極限まで制限することを行った後、モチーフとなる身体像を群像として捉えるのではなく、個々の構造線を持った構成物として、画面上で再構成する方法を選択したのである〔図10〕。そしてシュレンマーが他の学生と異なっていたのは、それを画面外へと拡張するという概念を見つけ出したからである。それはその後のレリーフ作品〔図17〕や壁面の展示構成〔図18〕を経て、三次元の場である舞台空間と、その中で立体として存在する衣装の概念へと発展させられて行くのである。おわりに:今後の課題筆者は、本調査を通して将来的にバウハウスで展開される造形概念を、シュレンマーの初期活動時代であるシュトゥットガルト美術アカデミーに見出そうとした。実際、そこでの指導を行っていたヘルツェルは、イッテンがバウハウスで探求する造形理論の種を直接植えており、またシュレンマーに対しても、一見した限りでは見出されにくいけれども、確かな造形概念を指し示していた。このように、シュトゥットガルト美術アカデミーは、シュレンマー個人の研究と、バウハウス研究の双方にとって必要な検討課題であると言える。特にバウハウスについての研究は、およそ1世紀を経ようとする現在、見直しが始まってもいるところである。ヘルツェルについてもこれまではシュトゥットガルトの郷土作家といった扱いであったが、昨年にはドイツ国内から数多くの作品を集めた大規模な回顧展がシュト
元のページ ../index.html#295