鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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注⑴バウハウスを含め、20世紀初頭の芸術運動における舞台やパフォーマンスを出発点に、出版当時の80年代までの流れを概括的にまとめたものとして次のものがある:RoseLee Goldberg,Performance Art ― From Futurism to the present, London: Thames and Hudson, 1988(Live Art 1909 tothe Present, 1979の拡大改訂版)。ここでの位置づけのように、《トリアディック・バレエ》は、概してバウハウスの舞台作品として捉えられることが多いが、作品の成立経緯を考えれば、バウハウスにおいて生み出された作品であるとは言い難いものである。しかし本作がバウハウスの場で上演されたこと、バウハウスの舞台理論としてシュレンマーが舞台概念を確立するのに大きな役割を果たしたことを鑑みれば、注釈は必要ではあるが、一つのバウハウス的舞台を示していることも事実ではある。― 286 ―ゥットガルト美術館において開催された(注4)。これもまた、広くはバウハウスの見直しが始まっていることの証左であろう。研究課題全体の流れを報告した本稿では、詳細な議論にまで踏み込んでいないが、ヘルツェルの造形理論とイッテンの理論の関係、バウマイスターとシュレンマーの表面的類似性によって見過ごされて来た根本的な造形概念の違いなどについて、順次学会等において発表を予定している。また当初、検討するつもりであったマイヤー=アムデンの造形理論は、調査を進めるうちに、多くの作品の制作年代さえも特定に至っていないという研究の遅れに気がつくこととなった。幸い、残されている作品資料は、そのほとんどについて収集出来たため、マイヤー=アムデンの作品上での変化とその裏付けとなるシュレンマーらとの書簡とを総合することで、筆者が年代決定に取り組むことが可能となるだろう。⑵このバウマイスターは、以後、シュレンマーと常に比較する必要がある程、類似した表現を行っている作家である。特に画面上に矩形を並べて構成して行く方法は、シュレンマーの図式的平面との関連が予想されていた。しかし今回の調査によって、この画面状の明暗を意識的に強める方法が、その後のバウマイスターの平面化に重要な役割を果たすことがわかった。というのは、バウマイスターの平面化は、画像をモザイク化することによって大きな区分を持つ傾向があり、それをコントラストの強い画面として、仕上げて行く傾向があるからである。本報告ではバウマイスターについて触れるための紙面の余裕はないが、今回の調査を通してバウマイスターの造形が、同じアカデミーで見受けられたシュレンマーとは異なる抽象化傾向として、十分な議論の余地を有していることが明らかとなった。⑶こうしてイッテンはヘルツェルの指導を受けることを期待してシュトゥットガルトまでやって来たものの、実際にはアカデミーの教授が個別に弟子をとることは認められず、またアカデミーにも受け入れてもらえなかったため、当初直接の指導を受けることは出来なかった。その代わりにヘルツェルは、門下生のイダ・ケルコビウス(Ida Kerkovius: 1879−1970)に、ヘルツェルの造形理論の基礎を教えさせた。またこのケルコビウスは、1920年からはバウハウスの学生として、カンディンスキーやクレー、更にはイッテンに学ぶこととなる。

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