1 北魏後期山東での仏教造像の様相が明確になるのは、520年代に入ってからである。代表的な作例として、済南市⿈石崖石窟大龕の造像が挙げられる〔図1−1、2〕(注6)。如来像には坐像と立像があるが、ともに中国式の着衣を纏い、襞を段状の彫りで表現している。坐像は着衣が台座前面を履っており、いわゆる裳懸座となっている。菩■像は襟が突出した内衣に双領大袖を着け、肩を覆い、膝下で交差するX字状天衣を纏う。裙には縦方向の襞が彫られている。研 究 者:成城大学 文芸学部 教授 小 澤 正 人筑波大学大学院 人間総合科学研究科 准教授 八 木 春 生はじめに中国仏教美術史研究では、近年の資料の増加により、従来は資料上の制約から難しかった地方における造像の検討が可能になりつつある。本稿は地方における仏教造像研究の一環として、華北東部の山東省を選択し、南北朝時代から唐代にかけての仏教造像様式の検討を目的とするものである。山東省の仏教造像の全般的な様相については、劉鳳君氏による総合的な研究があり(注1)、また北魏については石松日奈子氏(注2)、北斉については岡田健氏(注3)が言及されている。さらに青州地域については、青州博物館による概括がある(注4)。本稿ではこれら先学の成果に拠りながら、南北朝時代から初唐にかけての仏教造像の変遷を考えてみたい。なお以下の考察では資料数が多い青州地域と済南地域を中心に論を進めることとする(注5)。上記の特徴は青州市出土正光6(525)年銘一光三尊像〔図1−3〕にも共通している。黄石崖では欠損していた如来頭部は高い肉髻で、全体に角張り、頬が張っている。菩■像は腰で交差する瓔珞を着けており、装飾品がほとんどない⿈石崖の菩■像とは違いが認められる。このように見て行くと、北魏後期造像の特徴として、如来像の中国式着衣、菩■像の内衣・X字状天衣・縦に襞を彫った裙など厚い着衣を纏うことが挙げられる。その背景には肉体の表現を抑制しようとする志向性の存在が認められ、これも北魏後期造像の特徴と言える。ただしこのような特徴は、中国各地の北魏後期に造像で一般的なものである。この― 291 ―㉗ 中国山東省における南北朝時代から唐代にかけての仏教造像様式の研究
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