鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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2 東魏東魏は535年から550年までである。この時期の造像として、青州市龍興寺窖蔵(以― 292 ―ことから山東も北魏後期に広範囲に流行した造像様式を受け入れていたことがわかる。しかし、頭部の輪郭が角張る、頬が張るといった表現は他の地域とは異なっており、山東造像の特徴とすることができる。下「龍興寺」と略す)出土の諸像が挙げられる。以下代表的な作例を取り上げる。まず〔図1−4〕の一光三尊像であるが、この像は如来像・菩■像ともに、顔つきや中国式の着衣などから、北魏後期の伝統を受け継いでいることは明らかである。その反面着衣襞の彫刻は浅くなっており、変化を認めることも出来る。〔図1−5〕の一光三尊像も基本的な特徴は上記の三尊像と同じだが、菩■像は珊瑚や太い花綱をつけ、腰部の玉環で交差させる瓔珞を纏い、肩飾や胸飾を着けるなど、装飾性が増しており、ここにも北魏後期造像からの変化が認められる。これら2点の一光三尊像は北魏後期造像の特徴を継承しながら、彫刻法や図像表現に若干の変化が認められるわけだが、北魏後期造像からの変化といった点は、以下の〔図1−6、7〕の一光三尊像でより明確に認められる。〔図1−6〕では如来像が上記2点の造像と同じ特徴をもつ反面、菩■像には大きな変化が現われている。左脇侍像はX字状天衣や縦方向に襞を彫った裙を纏うなど、北魏後期以来の形式である。しかし右脇侍菩■は天衣を交差させずに垂下させ、そのため上半身はほぼ裸体となっている。また裙の襞も同心円状で浅くなり、脚部には量感が感じられるようになっており、今までにはない肉体表現への志向性が見られる。このような菩■像は、〔図1−7〕の一光三尊像でも確認できる。この造像には天平3年(536年)紀年銘があることから、東魏の早い時期にすでに変化が現れていたことが分かる。東魏造像の特徴をまとめると、以下のようになる。東魏造像では基本的には北魏後期の造像が継承される。それは頬が張り、角張った顔の輪郭と高い肉髻や杏仁形の眼をして中国式服制を纏った如来像、X字状天衣や緻密な襞を彫る裙を纏った菩■像であり、その背景には肉体表現を抑制しようとする志向が認められる。同時に北魏後期との間に変化も見られる。特に菩■像では北魏後期の形式を継承する像が引き続き制作される一方で、垂下する天衣や裙の襞の彫刻を省略して肉体表現への志向を見せる新たな形式の像が現れている。同時に全体的に装飾性が増してお

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