鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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5 初唐唐の資料は、特に700年代の盛唐以降増加するが、ここでは隋からの変化を見るた― 295 ―が挙げられる。この菩■像は肉体表現を志向する点に北斉菩■像と同じ傾向を持つが、量感はより豊かになっている。着衣の彫りは浅く、そのため身体の量感がより強調されている。宝冠や斜めにかけられる瓔珞など装飾も豊かだが、肉体の表現がそれに勝っている。また雲門山第1龕の脇侍菩■像〔図3−6〕もこの時期を代表する像である。駝山第3窟の菩■像に比べやや■平な印象を受けるが、胸の張りや腰のくびれなど、肉体表現への志向や装飾は同じである。ただしやや胸を引き、腹部を前に出す姿は、直立する駝山第3窟菩■像からの変化が認められる。〔図3−7〕は龍興寺出土の菩■像で、肉体表現は他の菩■像と同じだが、宝冠や胸飾り、さらには天衣と重ねられて瓔珞など装飾がより強調されている。なかでも目を引くのは飾帯で、飾帯に獣面・宝殊などの文様が刻まれている。このような飾帯は雲門山第2龕菩■像で見られる他、河南・河北で類例が認められる。以上の作例から隋造像の変遷をまとめると以下のようになる。如来像は隋初年には駝山石窟第3窟像のように肉髻が低く■平、着衣の彫刻は浅く、襞の彫刻を省略する、といった北斉の特徴を引き継いだ造像が見られる。ただし立体への志向は強く、そのため胴部は円筒状になり、全体として強いブロック性が感じられるようになっている。しかしその後如来像は雲門山第1龕のような頭部では肉髻が明確になり、肩から膝にかけて着衣が緩やかにかかり、さらに着衣の彫刻が深くなり、彫刻的な表現が復活する像へと変化してゆく。菩■像では立体的な表現への志向が強まるとともに、北斉以来の装飾を強調する像と、そうでない像の2種の像が見られる。このように隋代では北斉以来の肉体表現への志向が更に進むが、北斉のように肉体の起伏を直接表現するのではなく、着衣を通しても感じられるより自然な表現が志向されている。興味深いことに、岡田健氏が雲門山第1龕の如来像と河南省洛陽市龍門石窟薬方洞奥壁五尊像中尊や河南省安陽市大住聖窟中尊との関連を指摘している(注10)。これによれば、雲門山石窟第1龕如来像に見られる新しい表現は華北東部の河南との関連を考えることが必要になる。めに、初唐時期、特に650年代前後までを扱うこととする。初唐の造像としては済南市神通寺千仏崖の諸造像が挙げられる。その中には紀年銘を持つものも多く、代表的な作例として貞観18(644)年銘の僧明徳造像〔図3−8〕、顕慶2(657)年の劉玄意造像〔図3−10〕、顕慶3(658)年の趙王福造像〔図3−9〕

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