鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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注⑴劉鳳君『山東仏教芸術』(芸術家出版社 2001年)⑵石松日奈子「三国・晋・南北朝前期の仏教美術」(曽布川寛,岡田健編『世界美術大全集 東― 297 ―図版出典(出典のないものは筆者撮影)図1:4〜7、図2:2・4・6・8・9、図3:5 青州市博物館『青州龍興寺仏教造像芸術』(山東美術出版社 1999年)図1:3東京国立博物館等編『中国国宝展図録』(朝日新聞社 2000年)第2図1・3:注⑷文献参照第2図5・7:山口県立萩美術館・浦上記念館編『仏教美術の黎明』(2008年)第3図2:常盤大定,関野貞『仏教史蹟』(仏教史蹟研究会 1925年)かで地域差とは、造像細部の表現の違いとして認識できることが理解された。すなわち今回山東で確認した、北魏後期の肉体表現を抑制した造像から北斉の肉体表現を志向した造像への変化、さらにそこから隋・初唐の調和の取れた肉体表現を志向した造像への変化は、山東だけではなく、華北の広い領域で起こった様式変化なのである。その反面、北魏後期の頭部表現や、北斉の肉体表現など、細部の表現には山東の独自性を認めることができるのである。つまり、時代を表す様式のありかたと、各地域が生み出す細部の特徴ある表現を見極め、それを分類整理することが、中国仏教美術における地方様式研究解明においては欠かせないのである。今後、このような方法に基づき、対象とする地域を増やし、研究事例を積み重ねることが課題として残されている。洋編 第3巻』小学館 2000年 292頁)⑶岡田健「南北朝後期仏教美術の諸相」(曽布川寛,岡田健編『世界美術大全集 東洋編 第3巻』小学館 2000年 307〜308頁)⑷中華世紀壇芸術館・青州地区博物館『青州北朝仏教造像』(北京出版社 2002年)⑸本稿は小澤と八木による共同研究の成果に基づいている。但し両者の間には意見の相違もあることから、本稿は小澤が執筆した。従って文責は全て小澤にある。⑹岡田健「山東歴城黄石崖造像」(『美術研究』366号 1997年 77〜47)⑺岡田健氏は北斉の北響堂山石窟南洞で装飾性に富む菩■と肉体表現を優先する菩■があることを指摘している。岡田健「龍門石窟初唐造像論1―太宗貞観期までの道のり」(『仏教芸術』171号 1987年 92頁)⑻このような東魏造像の特徴については、松原三郎氏が指摘している。松原三郎「東魏石彫論」(同氏著『中国仏教彫刻史論』小学館 1995年所収 105頁)⑼李裕群氏は第2窟の開鑿年代を開皇初期(581〜583年)としている。

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