鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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1.ドニの旧蔵コレクションの概要前述したように、ドニの旧蔵コレクションを再構成するのは容易ではない。モーリス・ドニ=プリウレ美術館の資料室には、断片的な資料が収められているだけで概要― 302 ―㉘ コレクターとしてのモーリス・ドニ―ゴーガン・コレクションの形成と展覧会の機能をめぐって―研 究 者:東京大学グローバルCOE 「共生のための国際哲学教育研究センター」小 泉 順 也特任研究員はじめに画家モーリス・ドニ(1870−1943)が美術批評家としても健筆を振るい、フランス近代美術史の言説生成に多大な関与があったことは広く知られている。例えば、ポール・ゴーガン(1848−1903)の指示の下にポール・セリュジエが《タリスマン(護符)》を制作したという逸話は、テクストの異同を伴いながら、ドニが折に触れて紹介するなかで人口に膾炙していった。このような■及的な歴史の再構築については、様々な形で検証されている(注1)。しかしながら、画家や美術批評家という側面に加えて、ドニが同時代のフランス近代美術のコレクターでもあったことは、ほとんど等閑に付されてきた。カタログ・レゾネの片隅にドニ旧蔵の情報が記載されることはあっても、コレクションの全体像を解明しようとする試みはなされてこなかったのである。無論、それは故ある事と考えるべきであろう。つまり、2度の結婚によって9人の子供(うち1人は夭折)に恵まれたドニの旧蔵コレクションは、世代を超えて相続されるなかで分散され、実態の把握が難しい状況に置かれてきた。さらに1976年にイヴリン県とドニの遺族とのあいだで合意が取り交わされ、1980年にプリウレ美術館が開館したが、このことはドニの復権には大きな意義があったものの、コレクションという観点から見れば事態をより複雑なものにしたと言える。なぜなら遺族からの寄贈は部分的なものであったため、美術館という新たな拠点に由来が異なる作品が混在するようになり、一見しただけでは区別がつかなくなったからである。こうした現状を認識した上で、本稿の目的はドニがもともと所蔵していたフランス近代美術のコレクションを、残された資料を通して明らかにすることにある。そして、とくにゴーガンを取り上げて、入手経緯と展覧会出品という視点から、ドニの旧蔵作品が自身の提示した言説と密接に結びつきながら利用されていたことを検証していきたい。

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