鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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  「あなたに送った乾いたばかりのいくつかの作品は、長旅に耐えてくれたに違いありません。ところで、肘をついているポン=タヴェンの女性は歴史的に重要な人物です。彼女はポン=タヴェン派の画家たちの孤独を癒してくれた上に、《恋せよ》と《神秘的たれ》というゴーガンの2点のモデルを務めたのです。」(注5)両者のあいだで金銭の授受があったかどうかは判然としないが、文面を読む限りでは、ドニの側から作品提供の依頼があったと思われる。その他にはベルナールの妹で画家シャルル・ラヴァルと結婚する《マドレーヌ・ベルナールの肖像》を手に入れており、自画像に加えて、ポン=タヴェンの歴史を彩った脇役の肖像画にも強い興味を示していた様子が窺えよう。― 304 ―と考えてよい。そして、もうひとつの特徴としては肖像画および自画像の点数が多いことが挙げられる。ドニは少なくともファン・ゴッホ〔図1〕、ゴーガン〔図2〕、セリュジエ、フィリジェの自画像を所有しており、さらにポン=タヴェン派と関わりの深い人物の肖像画も集めていた。残念ながら、大半は友人や知人を通して直接入手したものと推測され、領収書やメモ書きといった資料はほとんど見つかっていない。そうした中で、グロアネクの宿で働く若いブルターニュ女性を描いたセリュジエの《マリ・ラガドゥの肖像》〔図3〕については、ブルターニュを拠点に活動していたセリュジエからドニに宛てた1906年の書簡が、ドニの『日記』に再録されている。肖像画や自画像が歴史を雄弁にものがたる有効な手段となりうることをドニは熟知していた。こうした信条を画家として実践してみせたのが、有名な《セザンヌへのオマージュ》(1900年、パリ、オルセー美術館)である。ゴーガン旧蔵のセザンヌの静物画を囲んで、ルドンとナビ派の画家たちを配した芸術家の集団肖像画は、自身の芸術的宣言であるとともに、19世紀末におけるフランス近代美術の新たな潮流を端的に示そうとした大作であった。そして、こうした作品の系譜は、第一次世界大戦の直後にパリ市から注文を受けて、最終的に中世から象徴主義に至るモニュメント、作品、芸術家が一堂に会する構図で描かれた、プティ・パレ美術館の天井画《フランス美術の歴史》(1918−25年)に結実していく。筆と絵筆の両面からフランス美術史を描出しようとしていたドニが、同様の関心のなかでコレクターの活動を展開していたことは想像に難くない。肖像画や自画像に対する偏重はその反映であり、美術史の構築に供するような歴史的意義のある作品を優先して集めていたという仮説を導くことは可能である。しかしながら、それを検証しようとするとき、蒐集作品の確認だけでは根拠に乏しい。ドニがどのような手段で作

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