鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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1 目的本研究の目的は、カッパドキアの岩窟聖堂において聖母子像が果たした役割を聖堂における「場」の機能に即して考察することにある(注1)。中期ビザンティン期(9〜13C)において聖堂装飾プログラムが高度に規格化されたことは早くから指摘されてきた(注2)。しかし、旧ビザンティン領に文字通り点在する聖堂によってはその進展を追うことは極めて難しい。2 定義、データ、方法報告者は2009年夏に16日ほどカッパドキアのギョレメ村に滞在した。同村を拠点に訪れた114聖堂の内55聖堂において、81例に及ぶマリア像が確認されたが(〔表1〕参照)、これらは以下6種に分類される。A: ブラケルニティッサ型(81例中7例)= オランスの姿勢をとる正面観のマリアB: アギオソリティッサ型(81例中27例)= オランスの姿勢をとる4分の3正面観C:聖母子坐像(81例中22例)= 幼子を正面に抱くマリアの全身坐像。D:キリオティッサ型(81例中6例)= 幼子を正面に抱くマリアの全身立像。E:オディギトリア型(81例中12例)= 左腕に幼子を抱くマリア像。F:エレウサ型(81例中7例)= 幼子に頬を寄せるマリア像。これらにどのような役割が期待されていたのかという問題を考える際、図像史料が― 314 ―㉙ カッパドキアの岩窟聖堂における聖母子像の役割研 究 者:早稲田大学 文化構想学部 助手  菅 原 裕 文対して、カッパドキアはフレスコが確認できる中期の聖堂が250以上も残存する希有のフィールドである。カッパドキアの地域的な特色にさえ留意するならば、同地の作例は時間と空間が限定されるため、同時代人がどのように聖母子像を理解し、用いていたのかという問題に関して具体的な回答を示してくれよう。一口に聖母子像と言ってもイコノグラフィは極めて多岐に及ぶ。そして、その意味するところも一様ではない。しかしながら、数多ある研究書(注3)の記述や装飾プログラム図には単に「マリア像・聖母子像」と記載されるのみで、本研究に不可欠である具体的なイコノグラフィに関する言及は皆無に等しい。それゆえ、現地に赴いてマリア像のイコノグラフィを同定することも本研究の大きな目的であった。像。のマリア像。

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