3 プロテシスにおける聖母子像の役割聖堂は宗教画の展示場ではない。それは何よりも典礼執行の場であり、民衆教化の空間である。そして堂内を覆う図像は何らかの機能を期待されていた。それゆえ、プロテシスに配された聖母子像の機能を明らかにするためには、典礼におけるプロテシスの機能を知る必要があろう。― 315 ―叙述史料においてどのように語られるのか、二つの異質な史料の対照が定石となる。しかし、ビザンティン美術の領域では、劣化や破壊により図像史料のほとんどが失われた上に、特定のイコノグラフィに言及した叙述史料は無きに等しい。この史料不足を補うため、本稿では図像が配された「場」の機能に着目する。先述したように、聖堂は中期ビザンティンにおいて民衆教化の装置として劇的に進化し、装飾プログラムは高度に規格化されていく。聖堂各部が固有の機能を有するのは自明であり、同時代人もそれに相応しく反応したのは想像に難くない。所与の図像が特定の座を得たのは両者に有機的な連関が見いだされたためであり、それゆえ図像が配されたトポスの機能が明らかになれば、そこから図像に対する同時代的な理解を把握することが可能になる。この方法に基づいてマリア像の「場」に即して収集史料を集計したものが〔表2:聖母子像の配置〕である。同表によれば、カッパドキアにおける聖母子像の配置は、アプシス=39例、アプシス周辺=4例、ディアコニコン(南小祭室・祭具室)=3例、プロテシス(北小祭室・聖体準備室)=14例、扉口周辺=7例、北壁=7例、南壁=4例、西壁=3例となる。しかし、カッパドキアのアプシス装飾については、既にC・ジョリヴェ=レヴィや辻佐保子氏が卓見を述べており(後述)、この問題に関して報告者が紙幅を費やす必要はもはやあるまい。そこで、本稿ではアプシスに次いで作例数が多く、先達も着手していないプロテシスに対象を絞り、この「場」に配された聖母子像にどのような役割が期待されていたのかを検討する。カッパドキア独自の典礼方式は消失して伝わっていない。それゆえ、本稿では14世紀のニコラオス・カバシラス『聖体礼儀註解』(注4)を手引きに、当時の聖堂でいかなる儀式が執行されたのかを再現する。時代の降るカバシラスを引くのは、それが現在の正教会でも行われるヨアンニス・クリソストモスの聖体礼儀を仔細にわたって解説したものであり、ビザンティン中世でも広く普及していたと考えられるためである。
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