鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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― 318 ―■ 行進儀礼の起点としてのプロテシス先の聖体礼儀の次第によると、小聖入と大聖入という二つの行進儀式が聖体礼儀の第二部・第三部のクライマックスを形成している。結論を先取りするようであるが、プロテシスに配された聖母子像は、これら二つの行進儀式の象徴性を視覚的に補う役割を果たす。例のカバシラスの説明に耳を傾けてみよう。彼は小聖入について次のように述べる。  司祭はこれらを終えると祭壇の前に立つ。そして、福音書を取り上げて会衆に示し、人々の間に姿を現して主の顕現を象徴する。福音書はキリストを表し、同様に旧約の書は「預言者」と呼ばれる……。福音書を示した後は預言者の書を読まず、新たなる契約による事柄を歌う。いとも聖なる神の母を称え、我々の間に住まわれた顕現ゆえに、堪え忍ばれた苦難ゆえに、あるいは地上で成された業ゆえに、キリスト本人に栄光を捧げる(注9)。続いてもう一つ、大聖入に関する註釈も引こう。  この儀式は私たちにとってはキリストの最後の現れを表すものとなっている。これは彼がその生まれ故郷を旅立ち、エルサレムへ乗り込んで、ユダヤ人の憎悪を買い、そこで犠牲となったその入城を意味している。彼は驢馬に乗って喝采する群衆に取り囲まれながら、その聖なる町へ入城したのである(注10)。小聖入は一般にはキリストの公生涯を象徴すると解されるが、カバシラスはキリストの全生涯、すなわち第一のパルーシアと拡大解釈している。他方、大聖入は現在の正教会と同様に受難の道行きを象徴すると解する。この解釈において興味深い点は、プロテシスを出る司祭を「故郷を旅立つキリスト」になぞらえているところである。カバシラスの見解を中期のカッパドキアに暮らした修道士も共有していたならば、「キリストの故郷」たる場に聖母の像を配するのは何ら不自然ではなく、先のアプシス装飾の問題も勘案すれば、極めて理に適った選択と言えるだろう。しかし、ここで一つの問題に直面する。〔表3〕に目を転じるならば、プロテシスの聖母子像は、古代ローマのインペリアル・イメージに端を発する聖母子坐像(2例)やキリオティッサ型(3例)や、ローマ期のカタコンベにも見られるブラケルニティッサ型(1例)等、イコノクラスム(730〜843年)以前から見られる伝統的な聖

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