鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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⑷Nicolas Cabasilas, Explication de la divine liturgie, ed. and trans. by S. Salaville, Paris(hereafter注⑴本稿は拙稿「カッパドキアにおける慈愛の聖母の受容」『美術史』第162冊(2007年3月)84−97頁(以下、菅原2007論文)の考察を発展拡充させたものであることを、ここにお断りしておく。⑵O. Demus, Byzantine Mosaic Decoration: Aspects of Monumental Art in Byzantium, London, 1948, pp.Cabasilas, Divine liturgie), 1967.⑶カッパドキアの聖堂を体系的に扱う単著のみを挙げる。G. de Jerphanion, Une nouvelle provincede l'art byzantin: les églises rupestres de Cappadoce, 2 vols., Paris, 1925−1942; M. Restle, ByzantineWall Painting in Asia Minor, 3 vols., Greenwich, 1969; L. Rodley, Cave Monasteries of ByzantineCappadocia, Cambridge, 1985; C. Jolivet-Lévy, Les églises byzantines de Cappadoce: le programmeiconographique de l’abside et de ses abords, Paris, 1991.⑸以下、聖体礼儀の次第はNicolas Cabasilas, A commentary on the Divine Liturgy, trans. by J. M.14−29.― 320 ―なマリア聖所、ブラケルネ修道院を発信源にエレウサ型が全国的に普及した時期にあたる(注15)。こうした時期にカッパドキアで慈愛の聖母が急速に受容されたのは偶然だろうか。これらの諸作例はカッパドキア屈指の大修道院であるトカルの先例に倣いつつ、首都で崇敬を集めたエレウサ型を範としたとも考えられないだろうか。結語カバシラスの言を借りれば、プロテシスは「キリストの故郷」を象徴する。プロテシスに配された聖母子像は、それが受肉の表象たるがゆえにイコノスタシスの背後で行われる奉献礼儀の意義を観者に想起させる役割を果たす。同時に、聖母子像、とりわけ慈愛の聖母は、小聖入と大聖入という二つの行進儀式において司祭の移動が喚起する象徴性―公現と受難―を視覚的に補う。アプシスに再臨の主題を描き、プロテシスに聖母子像を「格下げ」するカッパドキアの装飾プログラムは、中世カッパドキアに関する叙述史料の欠如ゆえに長らく謎とされてきた。しかし、以上の考察で見たように、「プロテシス=聖母子像」という装飾プログラムは、一つの図像によって複数の典礼儀式の象徴性を効果的に伝達するために精緻を尽くした、極めて合理的な図像選択によるものと評することができる。この度、慈愛の聖母のみならず他のイコノグラフィを射程に収めたことにより、以前に発表した論文では及ばなかった問題―慈愛の聖母は何ゆえカッパドキアに多く残存するのか、どのような要因によってプロテシスに配されたのか―といった諸問題を解決し、かつて得た知見を発展的な形で修正するに至った。

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