5.安置堂宇の選択―八世紀の興福寺そこで、再び視点を変え、不空羂索観音像の講堂安置に、積極的な意味を見出すことが妥当か否か、八世紀における興福寺の造仏活動全体をふまえて確認してみたい。『興福寺流記』所収「山階流記」から、興福寺内の各堂宇に安置された尊像で主要なもの、造立年代の分かるものを列挙すると以下の通りである(堂宇の名称は一部『興福寺流記』冒頭部に拠る)。峙して陀羅尼を唱えたいなら、金堂ではなく、講堂に安置する方が望ましかったに違いない。斎会のための仏像であるか否かに関わらず、陀羅尼の教主たる変化観音像には、講堂に安置される理由があったのである。なお、変化観音以外にも、先に検討した興福寺と広隆寺の阿弥陀如来像〔図5〕、東大寺と広隆寺の虚空蔵・地蔵両菩■像〔図6・7〕など(注28)、平安初期以前の講堂に安置された仏像の尊格には、一種の「偏り」が見られる。これらはそれぞれ同じ儀礼を求められたために、同じく講堂に安置された可能性があるのではないだろうか。もちろん、八世紀に限っても、史料に残るすべての変化観音像、すべての阿弥陀如来像が講堂に安置されたわけではない。事例ごとの慎重な検証が必要なのは言うまでもない。 年代不明養老五年(721) 養老五年(721) 神亀三年(726) 天平六年(734) 天平十八年(746) 講堂天平宝字五年(761) 東院西堂観音菩■・繡補陀落山浄土変・繡阿弥陀浄土変天平宝字八年(764) 東院東堂小塔十万基宝亀三年(772) 延暦十年(791) 堂宇中金堂中金堂 安置仏釈■仏・脇侍菩■四軀・四天王弥勒仏・菩■八軀・羅漢四口・四天王・天人十六軀・金剛力士十二口・八部神ほか弥勒・脇侍菩■二軀・羅漢二軀・四天王薬師三尊釈■三尊・羅漢十軀・羅■羅・梵釈四天王・八部神・師子・金鼓・龍形四頭・波羅門形ほか不空羂索観音北円堂東金堂西金堂東院地蔵堂 塔・阿弥陀三尊・羅漢十軀・薬師三尊・不空羂索観音阿弥陀三尊・四天王講堂― 330 ―
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