鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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■ 『続日本紀』天平勝宝七歳十月丙午(二十一日)条(『新訂増補国史大系』、223頁)。■ 紺野敏文「虚空蔵菩■像の成立(下)―東大寺大仏殿脇侍像と講堂像をめぐって―」『仏教芸術』■ 小林裕子「興福寺東金堂・五重塔・西金堂造営とその意義」『早稲田大学大学院文学研究科紀要 第3分冊』52、早稲田大学大学院文学研究科、2007年。■ 中村英重「古代氏寺考」(圭室文雄編『民衆宗教の構造と系譜』雄山閣出版、1995年)。― 334 ―■ 『造講堂院甲可山所解』(『大日本古文書』3、617頁)、『造講堂院所解』(同13、156−158頁)、■ 『平安遺文』1、253頁。■ 『新訂増補国史大系』、327頁。■ 錦織亮介「観世音寺と不空羂索観音像」『仏教芸術』108、毎日新聞社、1976年。■ 『不空羂索神呪心経』は画像の製作とその前での陀羅尼読誦を(『大正新脩大蔵経』20、405頁)、『千手千眼観世音菩■広大円満無礙大悲心陀羅尼経』は「千眼大悲心像」(画像か彫像かは不明)の造像とその前での陀羅尼読誦を説く(同、109−110頁)。■ 東大寺講堂の虚空蔵・地蔵両菩■像については、『東大寺要録』により、天平十九年に「始作」され、延暦元年(782)以前に講堂に安置されたことが知られる(前掲注⒇『東大寺要録』、100頁)。また、広隆寺講堂の阿弥陀如来像及び虚空蔵・地蔵両菩■像については、貞観十五年(873)の『広隆寺資財帳』に記載があり(『平安遺文』1、167頁)、現存像がこれに当たると考えられている。■ 東野治之「上代寺院の金堂とその堂内構成」(研究代表者鷲塚泰光、科学研究費補助金研究成図版出典図1 浅井和春『不空羂索・准胝観音像』(『日本の美術』382)、至文堂、1998年図2・3・4 『日本彫刻史基礎資料集成』鎌倉時代造像銘記篇3、中央公論美術出版、2005年図5・6・7 『極美の国宝仏 国宝 広隆寺の仏像』上3、同朋舎メディアプラン、2002年232、毎日新聞社、1997年(『日本彫刻史の視座』中央公論美術出版、2004年再録)。太田博太郎『南都七大寺の歴史と年表』岩波書店、1979年、196頁。果報告書『日本上代における仏像の荘厳』、2003年)。

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