鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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注⑴井上一稔『日本の美術312 如意輪観音像・馬頭観音像』至文堂,1992年⑵清水紀枝「半跏思惟形の如意輪観音像の成立をめぐって―醍醐寺との関わりを中心に―」『美― 344 ―た。嘉応元年に延暦寺衆徒が内裏に乱入し、治承2年には延暦寺僧徒の蜂起によって法皇の園城寺御幸が停止されている。院の出家や授戒は天台僧によって行われたが、その一方で天台とは常に緊張関係にあった。そうした状況をふまえると、半跏思惟形の如意輪観音像に関わったのが天台ではなく真言の僧であったことも注目される。すなわち12世紀後半、聖徳太子ゆかりの寺院への進出をはかっていた真言宗の意図と、太子および如意輪観音の功徳により王権を護持したいという後白河院の思いが一致し、半跏思惟形の如意輪観音像の成立へと結びついたのではないだろうか。今後、日本における如意輪観音像の展開についてさらに詳しく追究し、特に王権との関わり、および醍醐寺の担った役割を明らかにしてゆきたい。1969年、錦織亮介「別尊雑記の研究 その成立問題を中心にして」『佛敎藝術』82,1971年術史研究』第46冊,2008年⑶真鍋俊照「心覚と別尊雑記について 伝記および図像「私加之」の諸問題」『佛敎藝術』70,⑷真鍋氏、錦織氏前掲論文⑸阿部泰郎「守覚法親王における文献学」『守覚法親王と仁和寺御流の文献学的研究 論文篇』研究成果公開促進費助成出版,1998年⑹『性空上人伝記遺続集』⑺松本郁代「鳥羽勝光明院宝蔵の『御遺告』と宝珠―院政期小野流の真言密教―」『覚禅鈔の研究』覚禅鈔研究会編、親王院堯榮文庫,2004年⑻内藤栄『舎利荘厳美術の研究―興正菩■叡尊の遺品を中心に』博士学位取得論文,2006年⑼醍醐寺蔵・報恩院隆勝筆『鳥羽勝光明院宝珠筥目録』奥書⑽土谷恵「中世初頭の仁和寺御流と三宝院流」『守覚法親王と仁和寺御流の文献学的研究 論文篇』研究成果公開促進費助成出版,1998年⑾横内裕人「密教修法からみた治承・寿永内乱と後白河院の王権―寿永二年法住寺殿転法輪法と蓮華王院百壇大威徳供をめぐって―」『日本中世の仏教と東アジア』塙書房,2008年⑿棚橋光男「後白河の行動一覧」『後白河法皇』講談社,2006年⒀西井芳子「山科御所と御影堂」財団法人古代學協會編『後白河院』吉川弘文館,1993年⒁棚橋氏前掲書⒂『玉葉』⒃『玉葉』⒄『一代要記』、『吾妻鏡』⒅『四天王寺別当次第』⒆『広隆寺別当補任次第』⒇棚橋氏前掲書■ 根立研介「附論 後白河・後鳥羽院政期の古仏の使用をめぐって」『日本中世の仏師と社会』

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