鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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5段大袖:袖は全て5段大袖で、笄金板尾栴庇■実の時代傾向というよりも絵巻制作当代の色彩特徴が表れていると推察される。4−2 「後三年合戦絵巻」の大鎧これまで研究してきた「蒙古襲来絵巻」や「伴大納言絵巻」などでは、旧態の大鎧とその時代の新しい形式の大鎧とが混在し、しっかりと描き分けられていた(注13)。大鎧の構成素材だけでなく形式も含めた描き分けにより、時代性や経済状況を推察し得ていたのである。しかし、本絵巻の延べ259例の武装描写は、ひとつの特徴的な大鎧形式と鎧直垂で統一されていた。それはまさに「後三年合戦絵巻大鎧統一モデル」ともいえる仕様である〔図5〕。以下、その特徴的な要素について詳しく述べていく。は付随していない。5段大袖は「平治物語絵巻」のなかではみられるものの、現存する遺品にはみられず、平安時代後期の厳島神社蔵国宝小桜威大鎧などの6段大袖が最も古様の形式である。片山形冠:大袖上部の冠板は前から後にかけて低くなる、段差のついた片山形が殆どで、数例のみが櫛形。平安時代中期の石清水八幡宮旧蔵の重文紺糸威大鎧残欠、平安時代後期の唐沢山神社蔵重文大鎧残欠、「伴大納言絵巻」にも片山形冠板がみられる。本絵巻の片山形は、これらの冠板より前後の段差がさらに強調された形で描かれている。また数例みられた櫛形も、鎌倉時代初期の都々古別神社蔵重文赤糸威大鎧残欠のような緩やかなふくらみのある形状をしている。檀板・鳩板:栴檀板は3段、冠板は栴檀板・鳩尾板とも中央の山と両側の山が緩やかな稜線でつながっている。平安時代から鎌倉時代の遺品とみられる厳島神社蔵国宝浅葱綾威大鎧の形状と類似している。切欠式草摺:全ての大鎧の射兜:全て星兜形式、星の数は平均8点で鎌倉時代にみられる特徴である(注15)。「平治物語絵巻」の例のような頂辺の穴から髻を出している描写はみられず、殆どの兜に八幡座が据えられている。八幡座は鎌倉時代中期以降にみられるようになった要素である。前方には大きめの眉が付き、山の稜線は栴檀板の冠部分や鳩尾板の形状と類似している。吹返は鉢の左右に緩やかに返され、騎射戦が主だった平安時代後期から鎌倉時代にかけての形状と類似している。■は鎌倉時代後期から南北朝時代にかけてみられるやや開かれた形状で描かれている。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■物や水手草向草摺と馬― 26 ―■■■■■■■■■■呑環摺が切欠式草摺。前後の草摺菱縫板部分は中央で分割されている。この切欠式は遺品のなかでも南北朝時代の藤堂家旧蔵黒韋威大鎧1点のみにしかみられない特徴的な形式である(注14)。「蒙古襲来絵巻」や「伴大納言絵巻」では真直式草摺のみであったが、本絵巻では逆に真直式草摺は1領も登場しない。

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