鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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― 351 ―殿」には①堂形の「蓮華蔵」、②中央に大立像、③大像の東に立像二軀、④大像の西に坐像二軀などがあるとされる。まず仏像について見ると、②は釈■が不在の際に、人天のために説法したとされる。次に③は釈■が忉利天に行っていた時、この殿で諸比丘のために戒を教え、釈■を思慕する王には説法をしたという。祗園精舎に戒壇を建てた時、この像は戒壇を巡り、その歩んだ跡には金色千葉の蓮華が生じ、受戒や説戒の度ごとに花が開き、花中の天童が奏楽したとある。④は過去仏の時代の造立で、釈■に過去仏の教えを説いたといい、受戒の折には、受戒者が聖位を得、または七地に登ると、像が放光し天童が歌舞をし、持戒の功徳を讃歎したとある。このように、仏像は仏に代わって説法・説戒をし、受戒時にはその功徳を讃歎する存在として描かれている。①の「蓮華蔵」とは高一丈三尺で、蓮華座の上に八角七層の台があり、その台には扉が付き、龍・獅子・鈴などで装飾され、相輪上には普賢菩■を表すという形状のものである。毎六斎日に四衆がこの台を礼敬すると、各種意匠が破戒を呵責し、持戒を讃歎し、十善などの教えを説くとされ、行者はそれを聴いて得果登地するという。受戒の際には普賢菩■の光明が戒壇を照らし、受戒後に台を礼拝すると、上品戒を得た場合は台の門が自ら開き、百千の仏が説法しているのを見るという。台の中には百億仏土と、中心に蓮華蔵世界があり、百億の盧舎那仏が華厳を説いているとされる。これは華厳経の説く菩■道を実践し、戒を受持する者が望む理想の世界と言え、それが堂形の中に展開していると観念されたことは興味深い。『戒壇図経』は『祗■寺図経』戒壇条の記述に基づくとされ、両者は共通の基盤に立つ。受戒時に仏に擬される仏像とは、釈■に委嘱されて説法・説戒を行う仏像を理想としていたと言えよう。梵網菩■戒においては、盧舎那仏所説の戒を釈■が伝えたものとされ、盧舎那仏―釈■―仏像という構造になっていたと考えられる。盧舎那仏と釈■は本身と化身という関係にあることから、両者の本質は同一と見なされ、梵網菩■戒受戒における仏像は「釈■であり盧舎那仏である仏」に擬され、仏に代わって説法・説戒する存在として捉えられていたと言える。そして、持戒によって至るべき世界として蓮華蔵世界が観念されていたと考えられる。⑶盧舎那仏像に対する実践前節で示したような観念に対して、実際の実践内容が問題となる。鑑真・道宣の時代より溯るが、中国河南省安陽の小南海中窟・宝山寺大住聖窟はその様相を知ることのできる遺例であり、特に大住聖窟は先述の霊裕が開いた石窟とされ重要である。

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