― 353 ―Ⅲ唐招提寺金堂⑴盧舎那仏像とその荘厳前章までの考察から、鑑真らの戒律実践において「仏に委嘱されて説法・説戒をする仏像」への期待があったと言え、東大寺大仏殿前での受戒では、盧舎那仏像にその理想の仏像としてのイメージが付されていたと考えられる。また、受戒の場所が「盧舎那仏殿前」であるということが注意される(注21)。大仏殿自体が『祗■寺図経』が説く「蓮華蔵」として、つまり、内に蓮華蔵世界を抱える函として観念されていたことを示唆するかもしれず、その場合、扉が開き盧舎那仏にまみえるということが、いかに重大な意味を持っていたかが想像される。唐招提寺においても、「持戒の力」を重視する寺院としての理想の仏殿・仏像が、金堂に実現されたと考えられる。盧舎那仏像は千体の化仏を配した光背を背に、蓮華座上に結跏趺坐する丈六像で、各蓮弁には一体ずつ如来坐像が墨描きされている。また、内陣柱・仏後壁には二千仏が描かれていたとされる(注22)。これらは盧舎那仏の化身である千百億の釈■を表し、蓮華蔵世界を表現しているとされるが、それは単に教説を表すという以上の意味を担っていたと言えるだろう。つまり、盧舎那仏から釈■へという梵網菩■戒の伝授を表すと同時に、持戒者が見るべき、至るべき蓮華蔵世界としても表されていると考えられる。また、金堂の荘厳全体についても、持戒者との関係において解釈できるのではないだろうか。金堂内外の組物・支輪板には彩色装飾が施されていたことが知られ、さらに、解体修理によって、正面扉にも全面に鮮やかな宝相華が彩色されていたことが判明した。これらは当時の建築装飾としては異例であるという(注23)。支輪板には①宝相華と湧雲、②菩■坐像と蓮華/宝相華、③舞踊天人、④菩■立像などの図様が認められ、いずれも激しく天衣が翻り、霊芝状の雲が湧き起こり、何らかの奇跡的な光景を表していると思われる〔図8〕。『祗■寺図経』が説く、千葉の蓮華上の天童が持戒を讃歎して歌舞・奏楽する光景と見ることもできよう。また、『梵網経』によると、盧舎那仏の教えを聴き終わった千百億の釈■は、それぞれの世界に辞さんとして体から放光し、その光が無量の仏となり、その仏が青・黄・赤・白の花を以て盧舎那仏を供養したとある(注24)。盧舎那仏と釈■とは相即する存在であり、光背は仏が発する光そのものの表現であることから、光背・後壁の千仏には、「釈■が放った光が化した無量の仏」のイメージが重ねられていると言える。金堂内外の宝相華の意匠は、無量の仏が盧舎那仏への供養として捧げた花と捉えられるだろう。唐招提寺金堂盧舎那仏像は「仏に委嘱されて説法・説戒を行う仏像」を理想として
元のページ ../index.html#363