注⑴醍醐寺本『諸寺縁起集』(『校刊美術史料 寺院篇』上巻、95頁)⑵毛利久「唐招提寺彫刻の問題点」『奈良六大寺大観 第13巻 唐招提寺2』岩波書店、1972年松田誠一郎「「唐招提寺用度帳」について」『京都市立芸術大学美術学部研究紀要』37、1993年― 355 ―諸国分二寺・定額寺において昼は金剛般若経を転読し、夜は薬師・観音の号を念ずることが勅されている(注31)。法会の形態から夜は悔過儀礼と考えられ(注32)、薬師悔過と観音悔過が同一の機能のもとに並び行われた事例と見ることができる。ここから、両像が並立する可能性が指摘できよう(注33)。唐招提寺においても、『続日本後紀』承和4年(837)4月25日条から、天地災異に対して経典転読・薬師悔過が行われていたことがわかり(注34)、同様に千手悔過が行われていた可能性もある。唐招提寺金堂の薬師如来像・千手観音像は、延暦期以降、国家的な法会を行う場となった唐招提寺において、悔過儀礼の対象として造立されたと考えられる。持戒清浄の功徳を祈願に振り向ける悔過は、まさに「持戒の力を以て国家を保護せん」とする唐招提寺にふさわしい法会である。その「持戒の力」を保証し、讃歎する役割を盧舎那仏像が担い、また、金堂はその懺悔・持戒の功徳によって至るべき蓮華蔵世界として観念されていたと、現時点では考えている。おわりに唐招提寺金堂三尊像の意味・機能について、前提となる鑑真周辺の仏像観の考察に主眼を置き、盧舎那仏像を中心に考察を行った。鑑真らの戒律実践において、「仏に委嘱されて説法・説戒をする仏像」への期待があったことがわかり、盧舎那仏像及び金堂の荘厳は、その理想の世界を表すと考えられる。薬師如来像・千手観音像に対しては、護国等を祈願するための悔過が行われたと考えられ、その懺悔・持戒の行いに盧舎那仏像の機能が関わってくるという構造が想定される。本報告では枠組みを提示したにすぎず、今後は金堂造営に関わった檀越の信仰や、個々の事例に即した考察が必要と考えられる。また、奈良時代後半から追善の願文等に見られる、浄土としての蓮華蔵世界観も(注35)、唐招提寺金堂の造営を考える上で不可欠な要素と考えられ、上記問題と共に今度の課題としていきたい。⑶『仏教芸術』281(特集 唐招提寺の考古学・金堂の平成大修理によせて)、2005年『戒律文化研究会第8回学術大会 資料集』戒律文化研究会、2009年⑷真田尊光「唐招提寺創建当初の戒壇と現金堂盧舎那仏像について」『南都仏教』87、2006年⑸安藤更生『鑑真(人物叢書146)』吉川弘文館、1967年
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