鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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― 362 ―号龕(唐)(注8)などが挙げられる。薬師如来像の持物としては、第129龕のように右手は錫杖、左手掌の上に鉢を載せている場合や、第248号龕のように右手は鉢、左手は法衣を掴んでいる像などが確認される。続いて、二尊像としては、茂県点将台第4号龕〔描き起こし〕、巴中南龕106号龕〔図3〕の作例が挙げられる。これらは釈迦とともに制作された二仏並列像であり、前者の4号龕からは貞観4年(630)の題記(注9)が確認され、初唐期の四川地域で制作された薬師像の基準作として重要である。第4号龕の如来像は二躯とも禅定印を結んでおり、そのうち、右側の如来像が宝珠を手にしている。如来像の左右には菩薩像が蓮華座の上に直立しており、二躯の如来像の間には弟子像が一躯確認される。龕の外側には七躯の化仏が彫刻されている。龕の下段には二躯の獅子が確認される。巴中南龕第106号龕〔図3〕は、二躯の如来像を中心に、弟子像と菩薩像、力士像が二躯ずつ左右に彫刻されている。二躯の如来像の右手は施無畏印で共通しているが、右側の如来像は左手に宝珠を、左側の如来像は左手に鉢を持つ。宝珠と鉢は、共に薬師如来像の持物であるため、いずれが釈迦か薬師か判別し難いが、同じく巴中南龕の作例の中では、第69号龕(735年)、第71・77号龕(740年)(注10)のように、宝珠を持つ如来像が釈迦像として確認されるため、第106号龕 の鉢を手にする如来像が薬師像である可能性が高いと考えられる(注11)。この第106号龕の左壁にある題記には年記はないが、二仏を釈迦と薬師とする尊名が確認されるなどの点で重要であるため、この題記については、後で詳述することにしたい。また、三尊像として、広元皇沢寺写心経洞第55号龕〔図4〕が挙げられる。この龕には、3躯の如来像、4躯の弟子像、2躯の菩薩像、2躯の力士像が、左右対称に配置されている。諸像の後壁には、磨滅は激しいものの、八部衆が確認される。三仏のうち、右側の如来像は破損しているが、転法輪印を結んでいると判断でき、阿弥陀像と考えられる(注12)。中尊の左側の如来像は、左手に薬壷を持つため、薬師像であることが分かる。中尊の左右が薬師・阿弥陀仏なので、この龕の三尊像は横三世仏と判断される。第55号龕が初唐期作なのであれば(注13)、横三世仏の出現とその後の継続的な制作の端緒という問題とも深く関わる貴重な作例である。さらに、四尊像としては、来江千仏崖第72号龕〔図5〕、第73号龕と仁寿県牛角寨第23号龕〔図6〕などが挙げられる。来江千仏崖像は、四尊像の周りに多くの聲門が表現されているのに対し、仁寿県牛角寨の像は八部衆と力士像が表されたシンプルな形態である。次に、薬師如来像を中心とし、二躯の菩薩像を配置する作例をみてみたい。まず一

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