2.巴中第106号龕の題記から窺える薬師信仰まず、巴中第106号龕の作例を検討し、薬師像を造成することによる功徳について― 363 ―般に、薬師像が二菩薩像を伴う場合、日光・月光菩薩として判断されることから、巴中水寧寺第1号龕(盛唐)〔図7〕も、薬師・日光・月光菩薩の三尊像とされている(注14)。ただ、資中100号龕(858年)〔図8〕の題記(注15)からは、「薬王薬上」という菩薩の尊名が確認されるため、菩薩の尊名を推定する際、注意を要する。また、唐代に入り制作され始めた薬師・地蔵・観音の三尊像としては、巴中北龕の第1号龕(初唐)〔図9〕、広元千仏崖第116号龕(盛唐〜中唐)〔図10〕・第88号龕(盛唐〜中唐)・第105号龕(盛唐〜中唐)、広元観音岩第43号龕(833年)(注16)などが挙げられる。観音・地蔵菩薩の場合は、地蔵菩薩の図像的特徴により二菩薩の尊名を推定できる。薬師如来像の持物を確認すると、左手に関しては、千仏崖第116号龕の如来像のように鉢を挙げているケースや、広元観音岩第43号龕のように宝珠を持っているケースなどがあるが、右手は必ず、錫杖を持っている点で共通している。錫杖は、地蔵像の持物として知られるが、薬師如来像の脇侍菩薩として地蔵像が表される場合には、図像的な混乱を避けるためか、地蔵像が宝珠を持つ場合が多い。その他、薬師像が観音像(広元観音岩第83号龕)、地蔵菩薩(巴中南龕第66号龕)〔図11〕、文殊菩薩(観音岩第62号龕)と組み合わされて二尊以上を成すケースもあるが、このような作例は盛唐以降に確認されるため、初唐期に制作された薬師・観音・地蔵菩薩のバリエーションと考えられる。最後に、十二神将像、八大菩薩などを伴っている群像をみたい。十二神将像が確認される作例としては、巴中北龕第14号龕(初唐)〔図12〕、安岳千仏寨第96号龕(初唐)〔図13〕、来江千仏崖第150号龕(中晩唐)〔図14〕などが挙げられる(注17)。第14号龕は十二神将像が確認できる早い時期の作例である点で、第96号龕は、十二神将像のみならず、八大菩薩、十二大願、九横死が表現されている点で、第150号龕は四川地域では珍しく薬師浄土変としての可能性があるという点で、其々重要な作品である。以上、唐代四川地域で制作された作例を検討した結果、四川地域で制作された薬師像は、単独像よりも、薬師と釈迦の二仏並列像をはじめ、他尊と組み合わされるケースが多い。例えば、龍門石窟では確認されない薬師・地蔵・観音像の組み合わせが四川地域では初唐以降、継続的に確認される。従って以下の章では、他尊と組み合わされて制作された薬師像を特に取り上げ、その信仰の在り方について詳しく検討してみたい。
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