鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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― 364 ―考えてみたい。巴中第106号龕のような二仏並列像のタイプは、四川地域において大いに流行した。四川地域で確認される二仏並列像は、双釈迦或いは双阿弥陀像などの同じ尊格を並列させるのではなく、釈迦・弥勒、釈迦・天尊、観音・地蔵などのように異なる尊格を配置する点に特徴がある。勿論、これらの像の制作には、各々異なる教学的背景や社会的事情があったと思われるが、大きい枠組みで捉えれば、現在と来世(或いは死後世界)に対する救済が求められたと考えられる。茂県点将台第4号龕や巴中南龕第106号龕に見られる釈迦・薬師の組み合わせも、こうした四川地域の情況の中で理解すべきであろう。中でも、巴中第106号龕は、薬師と釈迦の制作背景について記した題記をもつ点で、検討に値する。全文は以下の通りである。こうした薬師信仰による阿弥陀仏国土への往生は、『灌頂経』以降に成立した『薬師経』にも引き継がれるが、隋・大業十一年(615)達摩笈多訳『薬師如来本願経』(注21)、永徽元年(650)の玄奘訳「薬師瑠璃光如来本願功徳経(薬師経)」(注22)、景龍元年(707)の義浄訳の「薬師瑠璃光七仏本願功徳経(七仏薬師経)」(注23)では、「西方極楽世界」のみが強調される。以上の教学的背景を踏まえれば、浅井和春  「仏弟子楊仙等因従尹使君往去煩山礼拝霊龕乃発心敬造薬師瑠璃光像本師釈迦文像及阿難迦葉観音勢至二金剛等像窮盡好手神功□□在□成就□賛并同弟子発愿当来解脱□得道□□□現身除殃富貴順達長者同生姉妹弟等福□□年過去所生人□□古往生■楽世界一切□□□□愿□□□三□咸□□年庚申朔二月辛酉建」(注18)上記の題記の内容から要点を抽出すると、釈迦は薬師如来像の本師であること、脇侍菩薩が観音・勢至であること、発願に現世利益的側面が窺えること、「■楽世界」(恐らく極楽浄土を意味する)への往生を望んでいることが注目される。中でも、薬師像が眷族として観音・勢至を伴っており、薬師如来が教主である東方瑠璃光浄土ではなく、極楽浄土への往生が祈願されている点には疑問が生じる。こうした在り方を理解すべく、薬師信仰の最初期の経典として、東晋・帛尸梨密多羅(317−323)訳の『灌頂拔除過罪生死得度経』一巻(以下『灌頂経』)を改めて検討する必要がある。『灌頂経』の記述によれば(注19)、薬師瑠璃光仏の功徳を聞けば、阿弥陀仏国土への往生ができ、臨終のとき八大菩薩の迎えによって浄土へ導かれるという。ただし、『灌頂経』の中では、薬師瑠璃光仏に礼拝すると、十方の妙楽国土での往生や、兜率天で弥勒を見ることもできると書かれている。隋代の敦煌石窟莫高窟第417・436窟において、薬師経変図の上方、天井へ繋がる部分に弥勒上生変が描かれたのも(注20)、上記の経典の記述によるものと考えられるのではないだろうか。

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