鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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3.薬師・地蔵・観音像の組み合わせ第1章で分類したように、四川地域において薬師像は、他尊と組み合わされて制作される傾向があったが、初唐以降に見られるようになった薬師・地蔵・観音像に関しては、同じく三尊から成る阿弥陀・地蔵・観音像との比較が有効である。特に、唐代以降の地蔵・観音像については、浅井和春氏、久野美樹氏、肥田路美氏(注27)による論考があり、敦煌、龍門、四川地域の作例に関する詳細な情報を得ることができる。浅井氏(注28)によれば、敦煌石窟においては、薬師像は地蔵・観音(第205窟−盛唐)、 地蔵・観音・阿弥陀(第166窟−盛唐)、地蔵・多宝(第176窟−中唐)、地蔵・菩薩6躯(第115窟−中唐)を加えた例が確認されるという。こうした多様な組み合わせについて氏は、薬師像と地蔵像の繋がりを軸として種々のバリエーションが生じていたと判断している。一方、薬師・地蔵・観音像の制作背景に関して、「呪術的現世利益性をになう三者が、相互に関連し合いながら(当時、薬師と観音の並置像もつくられた)民衆の間に着実に信仰の輪を広げていたことも十分に予想される」と述べている。― 365 ―氏が注意を喚起した敦煌第205窟の薬師・地蔵・観音像の上方にある阿弥陀経変相図についても(注24)、『薬師経』の内容から理解できるだろう。同様に第106号龕についても、制作時期に関しては、盛唐(注25)から晩唐(注26)まで見解は分かれるものの、玄奘以降の『薬師経』に基づいて題記に「極楽浄土」という概念が持ち込まれたと推定し得る。ここで留意しておきたいのは、敦煌石窟では、上記の第166窟のように薬師・阿弥陀・地蔵・観音の4躯が1組確認できるものの、阿弥陀・地蔵・観音の組み合わせが見当たらない点である。それに対して、龍門石窟における地蔵菩薩像の作例をみると(注29)、単独像、観音との二仏並列像(在名8例、無銘像33)に加え、弥勒・観音(在銘2例、無銘像1)、阿弥陀・観音(在名5例、無銘像19)との組み合わせが確認されるものの、薬師・地蔵、薬師・地蔵・観音像の組み合わせが見られない。この点は、龍門石窟の特徴として指摘することができる。一方、四川地域においては、薬師・地蔵・観音像だけでなく、阿弥陀・地蔵・観音像も制作され、現存作例の数は後者の方が多い(注30)。 先行研究によれば、地蔵・観音菩薩は、浄土教関係経典に基づいて解釈が可能であり、阿弥陀仏の脇侍として組み合わされても矛盾はない。さらに第2章において検討したように、『薬師経』の中

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