― 366 ―にも「西方浄土への往生の傾向」が認められる点を踏まえれば、薬師・地蔵・観音像の制作も、阿弥陀・地蔵・観音像の組み合わせと同様の制作背景を持つと言ってよいだろう。ただし、ここで考えたいのは、四川地域において薬師・地蔵・観音像が中唐まで継続して制作された点である。もし薬師如来が阿弥陀如来と同じ役割を果たし、また薬師・地蔵・観音の三者が同様の功徳を施すことができたのであれば、先に検討した龍門石窟の事例のように、薬師・地蔵・観音の組み合わせが必要とされなくなったとしてもおかしくないはずである。四川地域において薬師・地蔵・観音像が制作され続けた理由を明らかにするため、改めて薬師如来の本来の功徳について考えてみたい。そもそも薬師信仰は、延命を願い、病苦から離脱して長寿を求めるものであった。九横死から救われたいのも同じ理由である。この思想は、生死輪廻の苦を離脱し、来世には仏国土に往生を願うことと、ある意味では反する。この点にこそ、阿弥陀信仰とは異なる薬師信仰の特質があると考えられる。即ち、生者の場合には、まず現世での延命が第一の目的であり、往生はその次の段階と言えるのである。命の危険に瀕している重病人は、どのような救済が可能なのであろうか。『薬師経』によれば、薬師如来の功徳に縋って命を取り戻すことが可能である。また既に命を落とした亡者については、その罪が裁かれる間であれば、薬師像の功徳により、往生あるいは生き返ることができる。しかし『薬師経』には、一旦地獄に落ちてしまった亡者の救済に関する記述はない。ここで、地蔵菩薩が求められる。地蔵菩薩は、地獄からの救済を約束する「冥部救済」を担う点で、薬師如来の功徳を補完し得る。即ち地蔵菩薩は、死者の救済の機能を期待されて、薬師如来と並置されたのである。このような観点から、「呪術的現世利益」という性格を共有し民衆の心を掴んで信仰された薬師・地蔵・観音菩薩の三尊像は、本来の図像としては、異なる役割を担う三尊として造像されたと考えられる。おわりに以上、四川地域で制作された薬師如来像の変遷と変容の過程を考察し、図像構成の原理・機能について考察したが、その結果、今まで強調されてきた薬師像の現世利益的側面以外に、他尊と密接に関わる薬師信仰が存在したことが分かった。本稿で検討した薬師・釈迦の二仏並列像や、薬師・地蔵・観音像の三尊像は、四川地域の薬師信仰の多層的意味を示すものであると考えられる。本稿では、四川地域の社会状況を検討するに至らず、四川地域の薬師信仰の特質について十分な考察ができなかった。多
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