鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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注⑴敦煌石窟の薬師信仰については、松本榮一『燉煌畫の研究』圖像篇(同朋舎出版、1985年)60〜89頁、稲木吉一「中国における薬師造像に関する基礎的研究」(『鹿島美術研究』(年報第14号別冊)、1997年)209〜216頁、永井信一「中国の薬師像について(中国の仏教美術〈特集〉)」(『佛教藝術』159号、1985年4月)、王恵民『敦煌石窟全集6弥勒経画巻』(商務書館、2002年3月)137〜249頁、羅華慶『敦煌石窟全集2尊像画巻』(商務印書館、2002年3月)61〜70頁参照。― 367 ―様な側面を見せる薬師信仰は、密教・道教との関わりが予想されるが、それらについては今後の課題としたい。⑵胡文和「四川摩崖造像中的《薬師変》《薬師経変》」(『文博』1988年第2期)。⑶胡文和『四川道教仏教石窟芸術』(四川人民出版社、1994年10月)261〜267頁。⑷広元皇沢寺博物館・成都市文物考古研究所『広元石窟』(巴中書社、2002年)四川省文物管理局・成都文物考古研究所・北京大学中国考古研究中心・広元市文物管理局『広元石窟内容総録・皇沢寺巻』(巴中書社、2008年10月)⑸巴中市文管所・成都市文物考古研究所『巴中石窟』(巴中書社、2003年)四川省文物管理局、成都文物考古研究所、北京大学中国考古学研究中心、巴州区文物管理所『巴中石窟内容総録』(巴蜀書社、2006年12月)程崇勛『巴中石窟』(文物出版社、2009年11月)⑹五代・宋代に四川地域で制作された薬師像(胡氏の表現を借りると「薬師変」)としては、資中西岩第3・7・9・26・30号龕、大足北山第279(955年)・281号(954年)・110・147号龕、大足石門山第1号(1151年)龕が挙げられる。胡文和 注⑵前掲書370〜371頁。⑺作例と制作時期については、広元皇沢寺博物館・成都市文物考古研究所 注⑷前掲書122頁、134頁参照。⑻盧丁・雷玉華・肥田路美『中国四川唐代摩崖造像:蒲江・邛■地区調査研究報告』(重慶出版社、2006年12月)62頁。⑼于春・蔡青「四川茂県点将台唐代仏教摩崖造像調査簡報」(『文物』2006年第2期)53頁。⑽巴中市文管所・成都市文物考古研究所 注⑸前掲書31〜44頁。⑾それ以外に、広元千仏崖第438号龕(開元初期−2躯の如来坐像、4躯の菩薩、12躯の神将像)、浦江県看灯山第40号龕(唐代、1躯の如来坐像、1躯の如来立像)、広元観音岩第57号龕(2躯の如来立像)も薬師・阿弥陀ではなく、薬師・釈迦である可能性もある。⑿初唐期の転法輪印阿弥陀仏については、岡田健「初唐期の転法輪印阿弥陀図像についての研究」(『美術研究』第373号、2000年3月)参照。⒀夢宗勇・王剣平兩「四川広元皇沢寺新発現的唐代石刻摩崖造像」(『文物』2009年第8期)72〜⒁四川省文物管理局、成都文物考古研究所、北京大学中国考古学研究中心、巴州区文物管理所 注⑸前掲書407〜408頁。⒂胡文和 前掲書注⑵47頁。⒃広元文物管理所「広元観音岩石窟調査記」(『四川文物』2002年第3期)9頁による。北進一氏「四川省広元市観音崖石窟踏査記」(『和光大学表現学部紀要』第1号、2001年3月)。82頁。

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