― 368 ―■ 四川地域での地蔵・観音像の作例の詳細な検討、地蔵・観音菩薩の制作背景については肥田路美 「地蔵・観音並列像資料攷―四川地域の造像例と霊験説話」(『早稲田大学文学研究科紀要』第51輯・第三分冊、2006年2月)、「関于四川地域的地蔵、観音並列像」(『2005年重慶大足石刻国際学術研討会論文集』、重慶大足石刻芸術博物館、2007年12月)の論考が参考になる。肥田氏は地蔵と観音菩薩について、「(前略)悪道からの救済と浄土への引導という一種の連携プレーが期待され、大衆の心を掴んだのであった」と述べている。■ 浅井和春 注■前掲論文24〜25頁。■ 久野美樹「唐代龍門石窟の地蔵菩薩像」(『女子美術大学研究紀要』33号、2003年)■ 広元皇沢寺博物館・成都市文物考古研究所 注⑷前掲書134頁の表4によれば、広元地域では薬師・地蔵・観音菩薩が4躯、阿弥陀・地蔵・観音菩薩が8躯確認される。筆者は、このような状況は広元地域に限らず、より広い地域で共有された信仰形態に基づくものと判断している。⒄胡文和氏は、薬師像を「薬師変」と「薬師経変」に分けて考察している。「薬師変」は『薬師瑠璃光如来念誦儀軌』、「薬師経変」は『薬師如来本願経』に基づき、「薬師変」に十二大願と九横死の場面が加えられた安岳千仏寨第95龕を「薬師経変」として取り上げている。氏の区分によると他の作例は「薬師変」である(注⑵、前掲論文、注⑶前掲書)。しかし、本稿では他の作例については「薬師経変」にあたるとみなし、雲気と諸像の間に聖衆が表現された来江千仏崖第150号龕を「薬師浄土変」と判断する。⒅巴中市文管所・成都市文物考古研究所 注⑸前掲書57〜58頁。⒆『大蔵経』巻21、533頁中〜下。灌頂経を偽経とする見解もあるが、本稿では、この経典と同様の思想内容がその後も繰り返し現れる点を重視したい。⒇王恵民 注⑴前掲書160、167頁。■ 『大蔵経』巻14、402頁下。■ 『大蔵経』巻14、406頁中。■ 『大蔵経』巻14、414頁中。■ 浅井和春「平安前期地蔵菩薩像の研究」(『東京国立博物館紀要』22号、1996年)24〜25頁。■ 程崇勛 注⑸前掲書130〜131頁。■ 四川省文物管理局、成都文物考古研究所、北京大学中国考古学研究中心、巴州区文物管理所 注⑸前掲書163〜164頁。
元のページ ../index.html#378