鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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― 373 ―膊、手首で矧ぐほか、上膊に小材を寄せる。このほか腰以下に細かい木寄せを行い、甲の細部には各所に小材を矧ぎ付ける。なお、甲の細かい矧ぎ木や両手首先、台座・持物等を後補とするものの、踏み敷かれる邪鬼も含め像本体の保存状態は概ね良好である。本像の伝来について、大正2年(1913)8月3日に東京美術学校が購入する以前の所在は不明ながら、同校の有となった経緯は正木直彦(1862〜1940)の著作『回顧七十年』により詳細を知ることができる(注5)。これによれば、正木が東京美術学校の校長を務めていた時代(明治34年〔1901〕〜昭和7年〔1932〕)、奈良の骨董商森田一善堂で本像を示され、岡倉天心が2千円で購入したことを聞いて、ボストンへの流出を防ぐために同額で買い取ったとのことである。さらに荷作りの際、横に寝かせたときに首■が抜けて墨書銘が見つかったことも付け加えている。なお、伝来に関連して、本像と大報恩寺六観音像の造立時期が近接していることに注意しておきたい。先に述べたように、本像は貞応3年(1224)5月14日の造立と知られるが、六観音像のうち准胝観音には、これを10日■る5月4日の墨書銘が記されている。森田一善堂の手にわたるまでの経緯は詳らかでないが、両像の銘記をみる限り、本像は奈良あるいは京都からそう遠くない地域に伝来したとみるのが自然であろう。概要を確認したうえで、装身具及び甲の形式について検討を進めていくこととする。本像の形式的特徴を考察するにあたり、とくに重要と思われるのは、元結飾り・天冠台・胸甲・甲締具・帯喰の各形式である。なお、以下に用いる甲各部の名称については、松田誠一郎氏の研究(注6)に倣うこととする。⑴元結飾り元結飾りとは、髻の基部を括る元結紐の上方に付けられた飾りのことである。本像のそれ〔図4〕は、半截した菊座の周囲に霊芝形の装飾をめぐらせた華やかなもので、小さなものだが頭部に彩りを添えている。湛慶も雪蹊寺像においてほぼ同形の意匠〔図5〕を用いていることから、慶派仏師によって採用された細部形式の一つであったことがうかがえる(注7)。ところで、髻正面に元結飾りを付けることは、奈良時代以降、天部像を中心にしばしば行われてきた。半円型や剣先型など形状はさまざまだが、細かな意匠を施すことはあまりなかったようで、彩色や漆箔で荘厳していた痕跡を残すものが知られる程度である。こうした伝統は、鎌倉時代初頭の文治2年(1186)運慶作の願成就院像〔図6〕や、同5年(1189)康慶作の奈良・興福寺現中金堂四天王像のうち増長天などに

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