鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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注⑴水野敬三郎「毘沙門天像(東京芸術大学)」(水野敬三郎ほか編『日本彫刻史基礎資料集成』鎌― 378 ―式や作風に12世紀末から13世紀初頭の慶派作品や、さらに遡った定朝様を顧みるかのような要素が指摘される京都・西園寺阿弥陀如来像などとも一脈通じる点があるように思われる(注22)。運慶・快慶らの次世代における神将像の作風展開については、仏菩■像に比べて基準的作例に恵まれていないこともあり、なお明らかでない点が多い。こうした状況にあって、本研究で試みた装身具や甲の細部形式の検討は、これまでに鎌倉前期以前の作品研究において重要な成果を生んでいるように、制作年代や仏師系統さらには個々の仏師の作風を考えるための手がかりとなることが期待される。運慶・快慶らの次世代以降の作風展開を具体的に跡付けるためにも、個別の作品研究を含め、さらなる検討をつづけていきたい。倉時代造像銘記篇3)中央公論美術出版、2005年3月。以下『基礎資料集成』と略称。⑵本像を取り上げた主な概説書及び展覧会カタログは次の通り。東京芸術大学編『東京芸術大学蔵品図録』(彫刻) 1977年3月。水野敬三郎『運慶と鎌倉彫刻』(ブック・オブ・ブックス 日本の美術12)小学館、1972年3月。東京国立博物館編『鎌倉時代の彫刻』特別展図録 1975年10月。奈良国立博物館編『運慶・快慶とその弟子たち』特別展図録 1994年5月。東京芸術大学大学美術館編『コレクションの誕生、成長、変容―芸大美術館所蔵品選―』特別展図録 2009年7月。⑶副島弘道「毘沙門天像、吉祥天像、善膩師童子像(雪蹊寺)」(『基礎資料集成』鎌倉時代造像銘記篇7)中央公論美術出版、2009年2月。⑷山口隆介「定慶様菩■像の再検討」『仏教芸術』299、2008年7月。同「大報恩寺六観音像に関する一考察〜十一面観音像と聖観音像における模刻の問題を中心に〜」『待兼山論叢』42、2009年1月。⑸正木直彦『回顧七十年』学校美術協会出版部、1937年4月。なお、この経緯を詳しく紹介した文献に、三山進『名品流転』(読売新聞社、1975年1月)がある。⑹松田誠一郎「法隆寺食堂梵天・帝釈天・四天王像について」『美術史』118、1985年4月。同「法隆寺五重塔の著甲像―服制・甲制よりみた制作年代とその意義」『国華』1337、2007年3月。⑺本像にやや遅れる制作とみられる泉屋博古館毘沙門天像にも、類する形が採用されている。⑻細部意匠を施した元結飾りは、神将像にやや先立つかたちで菩■形像(上部元結紐上方)への採用が確認できる。半截した菊座飾りを付けるもの(文治5年〔1189〕快慶作のアメリカ・ボストン美術館弥勒菩■像や12世紀末の運慶作品と推定される栃木・光得寺大日如来像)、花形飾りを付けるもの(建久3年〔1192〕快慶作の京都・醍醐寺三宝院弥勒菩■像)、半截した菊座の周囲に霊芝形の飾りをめぐらせるもの(建仁元年〔1201〕快慶作の広島・耕三寺阿弥陀如来像や建仁3年〔1203〕までの快慶作品とされるアメリカ・フリーア美術館菩■像)など、すでにいくつかのバリエーションが認められる。

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