1.『鑑定記』の書誌と成立事情まず、『鑑定記』の書誌を以下に示す。本書は国立公文書館内閣文庫に所蔵され、体裁は半紙本(25.3×17.8センチ)の写本5巻5冊で、各巻表紙の左肩には、書名が書題簽(ただし巻五のみ打付書)で以下のように記されている〔図1〕。― 384 ―㉟ 大名のサロンに集う鑑定家たち―幕末期の書画鑑定記録『鑑定記』を中心に―研 究 者:東京大学大学院 総合文化研究科 博士課程 佐 藤 温はじめに幕末期に至ると、書画会や書画展観会といった催しの隆盛と相まって、書画は広く受容されるようになっていく。そして、そうした集会は同好の士たちを結びつける重要な場でもあった。今回紹介する『鑑定記』は、幕末の大名のサロンで開催された書画鑑定会の記録である。本稿では、記録から判明する会合の実施方法や、参加者の顔ぶれ、鑑定に供された作品の傾向などに触れながら会の様相を明らかにしつつ、その同時代的な意義について考えたい。鑑定記 従弘化二年五月至同四年十二月 一鑑定記 従弘化五年正月至嘉永元年十二月 二鑑定記 従嘉永二年正月至同年十二月 三鑑定記 従嘉永三年正月至同年十二月 四鑑定記 従嘉永五年正月至同年十二月 五本書の旧蔵者は、紙片に押印の上で各巻見返しに貼付された「花迺家文庫」の蔵書印から、須坂藩11代藩主の堀直格(文化3年〜明治13年〈1806〜1880〉)であることがわかる(注1)。ただし、本書は序跋や識語の類を持たず、本書の著者・筆写者や成立事情を直接物語る記述は存在しない。そこで、まずは本書の内容を紹介しながら、その記述内容と成立の背景について検討してみたい。〔図2−1〕は本書の巻一冒頭部で、〔図2−2〕はその翻印である。冒頭の表題に従えば、以後の記述は弘化2年(1845)の5月20日に行われた、ある会合の第一回(発会)の記録であることがわかる。そして、その左の記述「小竪物 真山水 法印探幽筆行年六十九 景山君御持参」は、会合に狩野探幽六十九歳の作である小竪物の画■■■■
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