鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
400/597

5.書画鑑定市場の動向と『鑑定記』の関わりこれまで見てきたように、『鑑定記』は幕末期の江戸の大名サロンで行われた鑑定会の盛行を伝えるものであるが、その同時代的な位置づけはどのように為されるべきであろうか。先に触れたように、本会合と同様の手法による鑑定会の実施は、江戸後期から明治初期まで類例が見られ、その背景には同時期の書画受容の拡がりがあると考えられる。― 390 ―える。作品も美人画の類が多く、長春や歌川国貞の手になる春画巻物なども出品されているなど、書画の選定に際しての自由度は高かった模様である。しかし、そもそも書画の鑑定とは、見識に基づいて作品の作者や制作年代などを特定しつつ真贋をはじめとした価値を付与する行為であり、書画が商品として流通する市場の存在を前提としていることには注意したい。その観点からすると、『鑑定記』の会合もまた書画愛好家の集いであると同時に、営利的な世界とも無関係ではなかったのではないだろうか。鑑定会と営利活動の関係について注目されるのは、『鑑定記』に登場する鑑定家の古筆了伴が、ちょうど会合の開催されていた時期に書画鑑定における特権をめぐって訴訟を起こしているという点である。それについては先に拙稿において紹介しているのだが(注11)、『古筆了伴/安西雲煙 鑑定一件始末』と題された記録(写本一冊、筆写者不明、安西雲煙著か)によれば、弘化3年(1846)に了伴は江戸の書画商安西雲煙を特権侵害の廉で寺社奉行所(注12)に訴え出ている。その顛末については拙稿に譲るが、簡単に述べると了伴が問題としたのは、雲煙が書画鑑定の際に「鑑定札」なる鑑定証を発行しており、それが古筆家の鑑定証である「極」と類似していたことであった。そこで了伴は極札発行が古筆家門人筋の特権であることを理由に「鑑定札」の停止を求めるが、雲煙は逆に同家門人ではない自身が同家の規則に拘束される理由は無いとして、「鑑定札」の独立性を主張しながら拒否する。結局、本件は最終的には古筆家の要求が全面的に通り、雲煙が以後鑑定に関する書付を一切発行しないという条件で内済(和解)となるのだが、興味深いのは雲煙の供述に見られる「鑑定札」を発行するに至った経緯である。それによると、雲煙は文人仲間による鑑定会での「落款入札」において鑑定家としての評価を高め、その場で人々の求めに応じて鑑定結果を紙片に記して渡すようになったことを契機として、後に商品の書画にも同様の紙片を添えるようになったという。この「落款入札」は、まさに今回『鑑定記』を通して見てきたような、落款を隠した作品の鑑定結果を「入■■■■■札

元のページ  ../index.html#400

このブックを見る