鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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注⑴ 直格の蔵書印について、森潤三郎氏は「長方形の双郭内に「花廼家文庫」と刻したのは、紙片に捺して表紙に貼付したもので、方形に近い双郭内に「堀氏文庫」と刻した小形印は巻頭に押捺した。」と指摘している。『鑑定記』の印記は前者に該当する。森潤三郎「花廼家文庫主 堀内蔵頭直格」(『考証学論攷』、日本書誌学大系9、青裳堂書店、1979年)p. 379。⑷ 玉林晴朗「黒川春村と其の著述」(伝記学会編『国学者研究』、北海出版社、1943年)p. 255⑸ 斎藤月岑著・金子光晴校訂『増訂武江年表』2(東洋文庫118、平凡社、1968年)p. 35。なお、⑺ 生没年は『平田町史』中「今尾竹腰家歴代表」の記述に拠った。(『平田町史』上巻、臨川書店、⑵ 前掲、「花廼家文庫主 堀内蔵頭直格」p. 375⑶ 田中一松「「扶桑名画伝」再刊によせて」(堀直格『扶桑名画伝』、名著普及会、1979年)p. ⑹ 鈴木廣之『好古家たちの19世紀 幕末明治における《物》のアルケオロジー』(吉川弘文館、⑻ 梅田又次郎『勤王開国の先唱者溝口健斎公』(民友社、1907年)p. 310⑼ 森銑三・中島理壽編『近世人名録集成』第2巻(勉誠社、1976年)p. 32210922003年)pp. 167−1681987、pp. 137−138)― 391 ―札」する方式と考えられる。したがって、本訴訟は幕府公認の鑑定業者である古筆家がその特権性を確認するとともに、新興の鑑定業者である雲煙を牽制したものであり、ここからは当時の書画鑑定市場に権威をめぐる競争が存在していたことがうかがえる。そして、雲煙の例が示すようにその背景には鑑定会合の隆盛があったと見られ、『鑑定記』の会合もまたその中の有力な一勢力であった可能性も考えられるのではないだろうか。おわりに『鑑定記』は、幕末期の書画受容の一形態としての鑑定会のあり方を、その場に集った人々の顔ぶれと、鑑定に供された作品の記録を通して具体的に提示する点において非常に重要なものであると言える。本稿に示したように、その参加者の多様な顔ぶれは、広い階層の人々が文事を通して結びついていた同時期の文人の会合のあり方を反映している。また、鑑定対象とされた作品については、今後その出品傾向をより詳細に分析していくことにより、当時の市場における流行や価値基準を明らかにする上での重要な手がかりが得られると考える。そして、それを鑑定業界における権威の動向と合わせて検討し、鑑定家たちが書画市場において果たした役割を解明していくことを今後の課題としたい。本記事の存在についてはロバート・キャンベル氏より御教示を賜った。

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