鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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― 395 ―㊱ 植民地期朝鮮における日本人の朝鮮陶磁研究―浅川伯教・巧の活動を中心に―研 究 者:大阪市立東洋陶磁美術館 学芸員  ■ 口 とも子はじめに韓国の陶磁史研究において、植民地期の日本人による朝鮮陶磁研究は今も大きな影響を与え、その基盤をなすものである。その先導者のひとりであった浅川伯教(1884〜1964)・巧(1891〜1931)兄弟と柳宗悦(1889〜1961)の業績は、すでに多くの先行研究によって明らかにされており、植民地期のイデオロギーに疑問の声を上げ文化遺産の研究と保存にあたった彼らの姿勢は、日韓両国において近年特に再評価されつつある。またこの頃の日本の陶芸界においても、中国陶磁に次いで収集と公開が急速に進められ、文化的、学術的、商業的に「支那・朝鮮古陶磁」の受容層が大きく形成されて行った。濱田庄司(1894〜1978)、河井■次郎(1890〜1966)など後に民芸運動に携わった作家たちが何度も朝鮮を訪れ、また川喜田半泥子(1878〜1963)が朝鮮に出かけ窯焚きを行うなど、当時の陶芸家たちにとって朝鮮陶磁の受容は制作活動に多くの影響を与えた。近年の美術史研究では、日本近代の「工芸」の領域に注目しその成立と展開を再考する研究成果が次々に著されている。しかし、陶磁器、染色、漆、金工などといった諸分野は、成立発展と近代化の過程においてそれぞれが特殊性を持つものであり、「工芸」としてその展開を一様に語ることは難しい。そこで本研究では、明治末期から昭和初期にかけて日本で急速に高まった朝鮮陶磁受容に焦点をあて、その特徴を考察する。これは辛亥革命の起きた1910年前後に大きな波を迎える中国陶磁受容とほぼ時を同じくしており、日本が台湾、朝鮮、満州へと覇権を広げていく時期に当たる。特に朝鮮陶磁については、日本の植民地化政策によって全土の古蹟調査を端緒として「朝鮮美術史」「朝鮮陶磁史」が日本人によって表され、これが初めての通史であったことが述べられている。そこで形成された評価基準や「美的」価値観は、韓国において現在まで大きな影響を及ぼし、しばしば論議が繰り返されてきたものの、陶磁器分野の評価基準の形成については柳宗悦の「悲哀の美」論や民芸運動の「下手もの」論に焦点がしぼられ、その他の言説については近年まで注目されることがなかった。また日本近代の陶芸史においても、この「支那・朝鮮美術ブーム」は多くの陶芸家たちに衝撃を与えたものの、日本の近代絵画史における西洋美術の古典およびモダニズム受容研究のように、近代陶芸史全体の問題として詳細に分析されることはなかった。そ

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