鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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⑹ 前述朴美貞論文,p. 386注⑴ 八木奘三郎の1900年、1901年の調査については、次の論考がある。高正龍「八木奘三郎の韓国⑶ 『李王家博物館所蔵品写真帖』李王職蔵版,1912年⑷ 前述朴昭炫論文,p. 13⑸ 片山まび「いつ《高麗青磁》は誕生したのか?―高麗青磁の初現に関する研究史解題―」『日韓国際特別企画展・高麗青磁の誕生―初期高麗青磁とその展開―』大阪市立東洋陶磁美術館,2004年― 401 ―⑵ 日本による植民地政策下の朝鮮の工芸史、陶芸および陶磁器産業に焦点を当てた先行研究は、以下のものなどがあげられる。〈近代工芸史〉①崔公鎬「韓国近代工芸史研究:制度と理念」弘益大学校大学院美術史学科韓国美術史専攻,2000年(韓文)②朴美貞「植民地朝鮮の工芸と日本―「産業制作」と「アジア古代文明」への試み」『伝統工藝再考 京のうちそと―過去発掘・現状分析・将来展望』(稲賀繁美・編)思文閣出版,2007年〈近代陶磁史〉①宋キプム「韓国近代陶磁研究」『美術史研究』No. 15,2001年(韓文)②朴昭炫「『高麗磁器』はいかに『美術』となったのか―植民地時代における『高麗磁器熱狂』と李王家博物館の政治学」『社会研究』No. 11,韓国社会調査研究所,2006年(韓文)③巌升瑞「日帝強占期陶磁制作と制作構造研究」淑明女子大学校大学院美術史学科博士学位論文,2009年(韓文)磁史の流れを組む朝鮮観と当時の社会的価値観のないまぜになった独自の価値観を生んでいたことが推測される。おわりに以上のように日本の近代における朝鮮陶磁受容の広がりと近代陶芸家が受けた影響について考察した。それは明治末期から日本の植民地政策と歩みをともにしながら、朝鮮総督府が評価した高麗時代の青磁から浅川兄弟を中心とする民間の研究者層によって評価された朝鮮時代の様々なやきものへ対象を広げていった。また日本近代の陶芸家にとっての朝鮮陶磁評価の在り方は、総督府の示した植民地主義的価値観と変わりがないように見られるが、そこにはそれまでの日本の陶磁器の世界に受け継がれてきた茶の精神や、中国・朝鮮陶磁を「古典」として学ぶ独自の価値観が反映していると考えられ、今後は実証的な作品研究を基礎にこうした課題に対する考察を深めたい。調査」『考古学史研究』第6号,京都木曜クラブ,1996年 また、日本の植民地下にあった満州、朝鮮、台湾の工芸の展開をまとめ日本近代工芸史の中に位置づけた論文として、西原大輔「近代工芸と植民地」『伝統工藝再考 京のうちそと―過去発掘・現状分析・将来展望』(稲賀繁美・編)思文閣出版,2007年 ④張南原「高麗青磁に対する社会的記憶の形成過程に見る朝鮮後期の状況」『美術史論壇』第29号,2009年(韓文)がある。

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