― 402 ―⑺伊藤弥三郎・西村正太郎『高麗焼』,1910年2月⑻浅川伯教・巧兄弟に関する先行研究は、高崎宗司「浅川伯教・巧兄弟と朝鮮」『季刊三千里』18号,三千里社,1979年を皮切りに、展覧会として「山梨の生んだ朝鮮陶磁研究の先駆者―浅川伯教資料展」山梨県立美術館,1988年、論考として李秉鎮「《白樺派》における他者としての〈朝鮮〉―柳宗悦と浅川巧の場合」東京大学博士学位論文、2002年9月ほか、李尚珍「浅川巧の《朝鮮観》―植民地時代におけるその業績を中心に―」『人間文化論叢』第4巻,お茶の水女子大学大学院,2002年など多くの研究成果がある。⑼「京城には高麗物を主とする李王家博物館と実地調査による発掘品に重きを置いて居る総督府博物館との二つあるけれども比較的実用品に近い李朝民衆芸術品の収集は等閑視せられて居る。」小場恒吉「朝鮮木工家具に就いて(第四回本郷展特別陳列)」『アトリヱ』第6巻第2号,1929年2月⑽高崎宗司・編『浅川巧全集』,草風館,1996年,p. 190⑾山本真紗子「美術商山中商会―海外進出以前の活動をめぐって―」『Core ethics』vol.4,立命館大学,2008年⑿河井■次郎『炉辺歓語』東峰書房,1978年⒀濱田庄司「李朝陶器の形と絵」『工芸』13号,聚楽社,1932年⒁荒川正明「板谷波山の古典学習―東洋美術を中心として」『出光美術館研究紀要』第八号,出光美術館,2002年、岡本隆志「近代の京焼にみる中国陶磁摂取の諸相(一)」『三の丸尚蔵館年報・紀要』第10号,宮内庁,2003年などがある。
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