鹿島美術研究 年報第27号別冊(2010)
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1.カーメラ・ディ・サン・パオロとジョヴァンナ・ダ・ピアチェンツァ本稿で扱うカーメラは、この部屋に隣接する「アラルディの間」などとともに、注文主である修道院長ジョヴァンナ・ダ・ピアチェンツァの私室の一部をなしていた〔図1,2〕。ほぼ正方形をなすこの部屋の上部は、16の区画に分けられたヴォールト構造となっており、ちょうど傘をかぶせたような作りとなっている。天井部分は蔓棚に覆われ、楕円形の開口部から陽気なプットーたちの姿が見える。ヴォールトの下端には各壁面に4つずつルネットが配され、そこに古代彫刻を模した人物たちが描かれている。さらにその下部には、左右の羊の頭部から垂れ下がる布の上に、金銀の盃や水差しなどが載せられている。四方の壁面のうち北壁には、左右に窓が開けており、中央に暖炉が設置されている。この暖炉上部に描かれているのは、凱旋車に乗る女神ディアナである。また天井の中央には、ジョヴァンナの紋章である三連の三日月が付された盾がある。― 403 ―㊲ 16世紀パルマにおける古代研究の一側面―コレッジョのカーメラ・ディ・サン・パオロ装飾を中心に―研 究 者:東北大学大学院 文学研究科 博士課程後期  小 松 健一郎はじめに本稿は、コレッジョが1518−19年頃に手がけたパルマのサン・パオロ女子修道院の一室、通称カーメラ・ディ・サン・パオロ(以下カーメラ)を取り上げ、そこに描かれた古代彫刻風のモチーフの視覚的源泉を探ることを目的とする。先行研究においてカーメラは、1518年頃と推測される画家のローマ旅行の成果と捉えられがちであったが、ここではむしろ、パルマで目にすることができた作例として、古代のコイン図像との比較をおこない、今まで見過ごされてきた図像源を新たに提示する。それによって、パルマにおける古代研究の一端を明らかにするとともに、コレッジョと古代およびローマとの接触という問題を解決するための手がかりとしたい。これまでこの部屋の用途については、食堂あるいは寝室であったという説が提示されているが、どちらにしても、ジョヴァンナと交流のあった人文主義者たちが集まる一種のサロンの役割を果たしていたという点では意見が一致している(注1)。ルネサンス期の貴族の邸宅において寝室は、友人たちを招き、芸術作品を眺めたり、会話や音楽を楽しんだりする場であった。パルマの有力家系ベルゴンツィ家出身のジョヴァンナも、ここに集まった人文主義サークルのメンバーたちとともに、カーメラ装飾

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