2.古代コインのコレクションとルネット部の図像カーメラについて最初に本格的に論じた18世紀の歴史家アッフォは、ジョヴァンナの人文主義サークルのメンバーのなかに、複数の古代コインのコレクターたちがいたことを早くも指摘している(注2)。彼によると、パルマの詩人タッデオ・ウゴレートは266枚のコインを所有していた。また地元の人文主義者ジョルジョ・アンセルミもコインを蒐集していたが、彼の娘がサン・パオロ女子修道院にいたことがわかっており、ジョヴァンナとの繋がりも浅からぬものがあったに違いない。アッフォは彼ら以外にも、ベルナルド・ベルゴンツィやプラーティ家、バイアルディ家の名前を挙げ、古銭学の拠点としてのパルマの重要性を強調している(注3)。1)北壁〔表1〕北1の球体の上の舵とコルヌコピアを手にした女性は、フォルトゥーナと見て間違北2の武具をまとった女性は、その姿からミネルウァもしくはベロナと見なされてきた。ミネルウァを表したコイン図像では、片手に錫杖を手にし、もう一方の手を盾の上に載せるものが多いが、コレッジョが描いたような松明を手にするものは見出せなかった。一方で、錫杖を手にしてヘルメットに足を載せる「美徳」の姿は、左足を踏み出すようにして前に出すルネット図像に近い(注5)。斜め前方に突き出すよう― 404 ―の古代的な性格を楽しみ、知的な議論を交わしたと考えられる。アッフォの示唆に基づいて、その後の研究者たちは具体的なコインとルネット図像の比較をおこなった(注4)。しかし、これまでモデルとして挙げられてきたコイン図像のすべてがルネットのイメージと一致しているわけではなく、なかには持物や服装、姿勢など、多くの点で異なるものも含まれている。にもかかわらず、モデルとなったコインの特定はすでに解決したかのように扱われ、ルネットとコインの相違は、画家の自由な創意であるとか、その他の古代や同時代の作例を参考にしたものだと主張されてきたのである。だが、パルマにおける古代研究、あるいはコレッジョとローマの関係を明らかにするという本稿の目的からすると、図像源が何であったのか、それはどこで目にすることができたのか、という点は非常に重要であり、いま一度古代のコイン図像を詳細に検討する必要があると思われる。以下、コイン図像との比較について述べていくが、それぞれのルネットについては、先行研究に倣い、東西南北四面の壁面ごとに左から1、2、3、4と呼ぶことにする。いない。このタイプのコインは多くの皇帝のもとで鋳造された。
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